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2011年4月22日 (金)

民俗と災害

 現代社会の動向を視野に入れた『日本民俗大辞典』(1999年、吉川弘文館)には「災害」の項目はあるが「原発」も「原爆」もない*。また、『大衆文化事典』(1991年、弘文堂)には「災害」や「ボランティア」「原爆」はあるが原発はない。『現代社会事典』(第3版1989年、有信堂)には、原発事故はあるが、災害もボランティアもない。これらの学問では、現代の大衆やその民俗を、原発や震災から程遠いところに置き、安定成長期の暇つぶしとして展開したのか?
 ところが、バウジンガー・ヘルマン、河野真訳『科学技術のなかの民俗文化』(2005年、文楫堂)の序文には、
「科学技術の危険性をもっと強調すべきであったかも知れない。チェルノブイリ、あるいは数十年前のヒロシマが科学技術の発展に伴う致命的な暴力を受けたことは誰も記憶している。それは、限りなく深刻なできごとである。同時にそこにはたらくのは比較的単純な関係でもある。本書はそうした危険性をあまり取り上げてはいない。本書が意識的に扱ったのは、人間が科学技術とかかわる際の日常の平凡な経験である。当時は、科学技術は民俗文化の対立物、後者を抹殺するような怪物という見方が研究者の間ですら疑われていなかったために、それを克服することに意を用いることになった」とある。
 同書は、科学技術社会の中での、フォークロリズムやふるさとなどを論じていることで有名である。**ところが、著者自身が、「地域のなかの暮らし・民俗から、科学技術(原発)を照射する」重要性を指摘している。
 考えてみれば、バウジンガーの言うように、すべてのフォルクが「素朴で原初的、ふるさと的」であるわけではなく、現代科学技術社会のなかにある。技術だけを特定大学が独占し、特定官庁と独占事業者が結び付き「安心」と言い切り、言い訳のような地元貢献で原発立地地域で民俗調査研究がすすめられてきはしなかったか。かつて、電源・水源立地で、ダムに沈む村があるごとに民俗調査がすすめられてきたように。民俗は、電源立地・原発推進のなかのフォークロリズムとして利用されてこなかったか。
 ならば、バウジンガーが言い残したように、バウジンガーの作業とは逆に、民俗学者は地域の暮らし・民俗から科学技術(都市災害・原発)を照射せねばならない。
 すべての災害に意味があるとするなら、
阪神大震災は、インナーシティの高齢化問題だった。私は、地蔵盆の民俗を取り上げ、都市に暮らす意味を高齢者の暮らしから問い続けたことがある。
阪神大震災と地蔵(ブログ内)
 とするならば、今回の震災の示唆するところは何か。必要以上の原発依存と電力浪費、電力生産地と電力消費地の乖離、過剰な石油依存・クルマ依存という課題を、日本社会は突きつけられたのではないか。そのなかで、沿岸漁業文化はどうなるのか、相馬野馬追いなどの民俗文化はどうなるのか。
 阪神では私は孤立していた。ところが、今回は、民俗学者からのとまどいと相談・メールが、なぜか、元民俗学の私のところに来る。私は、東北の真面目さ、民俗の深さに、密かに期待している。
*私の当時の事項担当は、生駒山(新興宗教関連)、外国人花嫁、柿木問答(性民俗)、河原者、喧嘩、高利貸し、住民運動、スラム、性道徳、嫁盗み、堕胎、売春、福助(障害者民俗)、浮浪者、招き猫(商民俗)、水子供養、夜這い、恋愛 であった。
**例えば、水車は古き文化ではなく、近世資本制家内工業が展開したとき、商品製粉・精米の動力として展開した。その水車は山奥にはすでになく、繁華街の蕎麦屋の前にある。フォークロはイメージとしての故郷、民俗的な伝統シーズのなかにあり、決して古き良きわが国固有の文化としてあるのではない。あるのは、フォークロリズムである。

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