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2011年4月 7日 (木)

53番ー54番浅海大師堂、菊間青木地蔵堂

昨夏の歩きの報告をした9月28日にした再掲。写真。

今回、40日1000km通し遍路において通夜堂や善根宿・接待宿に、手紙を書いたところ、各地から電話、返信ハガキをいただいた。そのなかに、松山・今治間の浅海大師堂から「浜田のおばちゃん」という人からハガキをいただいた。今回、8月29日に高知県四万十町で調査と講演をすることもあり、今治出発、ゴールとしたので、(松山ー今治間の)浅海大師堂は最後の宿か?

 ところが、40日歩いて、残りわずか、松山の道後温泉でゆっくりすると、通夜堂や善根宿が苦しくなってきた。畳がなく板敷きかもしれないし、布団はないかもしれない(事実、座布団を重ねて寝た)、扇風機はないかもしれない、百足が出るかもしれない、もう充分、通夜堂は体験したではないか。普通の民宿、せめてユースホステルにしてはどうか・・・と、北条YHに電話したら営業していないという。
 
とぼとぼと「浜田のおばちゃん」の家を探し出した。そして、呼びベルを押した。すると、大師堂を守るお婆さんではなく、水道・ポンプの仕事に忙しい40歳台とみうけられる働きざかりの女性が出てこられた。手にした「納め札(氏名、年齢、住所の記入)」をお示しして通夜堂を乞うと、「よくご無事で」と声をかけていただいた。

 彼女は、見ず知らずの私のハガキを覚えているだけでなく、猛暑の中を廻る私をずっと気遣ってくれていたのだ。それに比べて私は、北条YHが臨時休業で、たまたまこの大師堂に来てしまった。私は彼女の配慮に感激しつつ、それを裏切って楽をしようとした悔いを感じつつ、何度も何度も感謝を述べた。

 小奇麗な畳敷きの大師堂に入り、いつも以上に丁寧に経をあげた。40日1000kmの最後の夜、偶然に偶然が重なって得られた出会い、他人の配慮・思いに触れ、感謝の気持ちで感極まっっていた。出会う人にお大師様を思う、お大師様に出会ったというのは、こういうことなのかもしれないと思いつつ眠った。
 この春、再度行ってみると、若者が宿をとっていら。

Img_0500 この先、今治市菊間の青木地蔵でも通夜堂があり、布団が貸されるという。定年以後、5度も周っているという遍路も使えば、悩んでいる若者も使っている。一方で、社会を忌避し、遍路から抜け出せない職業遍路・草遍路とよばれる人々もこれを利用する。村人は草遍路の居つきに困る気持ちがある一方で、素朴な信仰心も併せ持ちつつ、周る人々に優しい。とくに、愛媛県は優しい宿堂が多い。

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