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2011年3月27日 (日)

希望

今、わが国は国難に近い状況なのであろう。
 阪神とは比べようもない被災の大きさ、支援の手の行き届かなさ。
無力感をいだいて、でも、卒業する学生には希望を持って巣立って欲しい。
そういう、送る言葉を、自分に言い聞かせるように述べた。楽しい謝恩会なのに申し訳なかったが・・・。

まもなく、財政が破綻する。政治は無能、官僚は方向を見失う。公務員給与も年金も遅配されることもあるか。続けて、経済が破綻するのか。
 すべてを災害のせいにしてはいけない。
東日本だけでなく、国土のすべてで、エネルギーインフラ、産業、社会が、災害にによって激しい縮減・衰退・不安定の危機にある。一方で、人口減・縮小経済という緩やかな崩壊もは、すでに始まっている。
 私たちは、私たちの暮らしそのものを見つめなおし、自然の前に、歴史の前に、我らは恥ずべきである。

恥じ入ってこそ、その頭の向こうに我らの希望がみえる。政策や研究は、
1)生活現場の目線に戻り、
2)既存インフラや人財など有資源を活かし、
3)支えあい、わかちあい
個々の地域の再構築に汗を流さねばならない。

日本一、日本を歩いた男、民俗学者宮本常一は、戦時中に、大阪府農政課と計り、近郊農村の人糞肥料と農業生産性を調査している。まだ戦争中に、来るべき終戦後の食糧難をみこして、人糞活用の方策を練っていた。
 かくて、高度経済成長期、取り残される離島を思い、宮本は、大阪府から農林水産省に戻っていた官僚と連携し、離島振興法に尽力するのである。

今の私は、何も動けなく、動かなく、恥ずかしい。
しかし、生活目線で、既存財を活かして、皆でささえあう・わかちあう動きの中で、何らかの役割をはたすしかないと思って、来るべき時を待って、じっと見ている。

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