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2011年3月10日 (木)

物語、宮本常一、とうとい、理趣経、慈悲

 「物語的な歴史」は自己の統一(unity)を可能にし、さらに人生に統一を与え、また人間の自己性(selfhood)は、このような「物語」によって可能になるとする。つまり「私は一つの歴史の主体」(p.266)であり、「物語の主体」(p.267)である。
 そして、 私の人生の物語は常に、私の同一性の源である共同体の物語の中に埋め込まれている」(p.271)のであり、さらに「自己はその同一性を共同体の一員であることを通して見いだす」(p.271)
【A. MacIntyre“After Virtue” second edition,University of Notre Dame Press, 1984:邦訳 アラスデア・マッキンタイア篠崎栄訳『美徳なき時代』みすず書房 1993】
 このような物語=地域の暮らしぶり・地域への思いを「とうとい」「したしい」と記述したのが宮本常一である
【松山巌「「とうとい」と思う眼、「したしい」と思う眼」」『宮本常一が撮った昭和の情景』下巻、249-250、によれば『日本の村』「海を開いた人々』に多い表現という】

【宮本常一:日本一歩いた民俗学者、単なる民俗調査に留まらず、生活全体を見通し、地域づくりの視点をもち、離島振興法に関わった。】

「とうとい」とはどのような深みか。
欲や瞋恚や邪淫、衆生のあり方そのものこそが尊いという理趣経(真言密教の真髄の経典といわれる)と通じるように思われる。
「したしい」とは何を意味するか。衆生のあり方に、同じ目線で考える=人間を受け入れる =自他平等、ではないか。その根底には慈悲がある。
【慈悲は、悟りを開いた釈尊の心に起こった、慈、悲、喜、捨という四つの無量な心である。(小川一乗「大乗仏教の根本思想」法蔵館、1998年4刷、437頁)】

宮本常一の故郷、山口県周防大島には大島八十八ヶ所があり、真言・空海の教えが宮本常一の根底にあるのかもしれない。
 そう思って、(大林プロジェクトチーム(1995)「弘法大師・空海の修築した『満濃池』の想定復元」『Web 季刊大林』no.40)を読んでいると、空海が何ゆえ多くの人々をまとめて大事業をなしえたのかがわかるような気がする。
 人々の暮らしを物語りとして把握し、とうとい(理趣)、したしい(自他平等)と考える空海だからこそ、多くの人をまとめて、満濃池の大事業をなしえたのではないか。

物語と空海と宮本常一をひっつけるムチャブリですが・・・。土木計画学会発表のネタとして

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