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2011年1月12日 (水)

住民が負担シェアする淡路島長沢ミニバス

1万円/年×全100世帯(クルマ所有で利用しない人も含め)で運営しているバスが、淡路島の棚田の奥にある。最近、小学校が統廃合され、スクールバス混乗になって5便/日走る(日曜は休み)。運転手は、地元住民がボランティアで運行。退職したら二種免許をとってやっている。車両、保険、免許取得、ランニングの赤字約40万円補填など、市が支援している。

住民がここまでなぜできるのか、8日、I県の視察を案内して、淡路島に行った。
 北淡ICで降りたら阪神大震災の震源・野島断層がある。海岸部の集落は大変な被害で、区画整理事業で再興した。そこから、棚田を塗って山を登る。見事な景観である。大変な急斜面にも関わらず、畦やノリ面の雑草が払われ美しい。竹林もそれなりに管理されている。そうこうするうち、ミニバスの終点、東山寺に着いた。美しい尼の信仰寺で、信者も多いようだ。地元のリーダーをお呼びいただき、尼さん手作りの栗羊羹をいただきながら、話を伺った。

高齢者の海岸部までの移動確保は、以前から重要課題だった。ところが、震災復興で被害を受けた海岸の町部が、土地をめぐる私的利害対立で生活再建がすすまない状況を見るにつけ、助けあわねばならぬと皆が自覚したようで、乗る人も乗らん人も、全世帯が1万円出すことになった。通りすがりの高齢者に「何でこんなすごいことができるんですか」と訊いたら、「(小さな村だから)助けあわないかん。根性が良い」と言い放った。

何も考えず、クルマ依存を続ける地域、大きなクルマを競うような住民が多い地域に、行政が移動確保する必要はない。ただ、それでは地域は成り立たない事実を丁寧に知らしめ、情報公開をする必要がある。それでも、住民が動かない=根性(混乗)が悪いなら、新たな整備は必要ないし、既存のインフラ廃止も当然ではないか。

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