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2010年12月14日 (火)

【交通まちコミ授業】仏教と土木計画

秋山孝正@関西大学 先生をお迎えして、学生と議論した。以下は、ノートを基にした私の意見。

社会というのは、キリスト教のいうように「割り切れる」ものではない。
アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と量子力学※1を否定したが、実際の社会は、物理量にもとづくものだけではなく、フラクタル※2な波動、サイコロによっても成り立っている。
   ※1=古典力学で説明しきれない電子や原子核などの間の微視的現象を説明するために開発された物理学の理論である。
  ※2=図形の部分と全体が自己相似になっている状況、正確には数学的に説明できないこともあることをいかに説明するかが難しい。
 アインシュタインやキリスト教ヒューマニズムには申し訳ないが、人間以外も含めた複雑系によって社会は成り立っている。仏教的にはこの社会を因縁と定義する。
因縁には因果があり、因果は確率解釈によって量子力学的に統計推論することができる。

 キリスト教では人間は絶対神にはなれない。しかし仏教では修行すれば仏になれる※3
たとえば、災害などの苦行では、地獄に仏が生まれる。災害時の「優しさ」とか「助け合い」、震災ユートピアが、社会における仏の発露である。減災計画は、仏を組みこもうという土木計画である。従って、古典物理学よろしく、防災力学だけを計算している古典物理学的研究者と、どのようにコミュニケーションをとるのかが課題である。
  ※3=ただし、日本では菅原道真、平将門、相良親王など非業の死を遂げた人は、怨霊神となり、落雷、伝染病、地震などを引き起こす。地域計画学は、制御失敗による天災をも視野に入れ、自然への畏敬を含めて計画、評価する必要がある。例えていうなら、怨霊神も予め想定して(祭祀して)おれば、何らあわてることはないのである。これが古代の防災計画である。

 人生は四苦八苦である。後悔しても苦が重なるばかりである。
むしろ、事実を見極め
 ・文脈
 ・波動関数
を分析し、「あれかこれか」(キルケゴール全集第1巻)を見定める評価が必要だ。

では、どのような評価をするのか?評価には、
①経済評価(費用対効果:B/C)
②機能評価
③公共性評価
がある。
正便益不採算論は、「えーことやから不採算でもエーやろう!」と誤解してはいけない。
 ①経済評価、以上に、②機能や③公共性に関する評価法もあっても良いのではないかという議論である。
 ②機能評価については、60%の「ほどほどの合意形成」で、やってみんとわからんから、「社会実験」は、その評価方法の一つでもある※4
  ※4=もっとも、ほどほどの合意もないままの社会実験も多い。愚の骨頂、実現性乏しい社会実験は、山のようにある。
 ③公共性評価は、議論の場を設け、議論を尽くすことである。ときには、合意がとれないという合意を決定し、次にすすむ手法もある。議論し、臨機応変に組み替え、それを情報公開したというプロセスこそが、地域づくりにおける公共性評価の指標の一つである。②③は相対評価、相互評価、自己評価によるものであり、数値絶対評価がすべてではない。評価は、数字やディベート、大声で、上下、優劣をつけるものではない。機能や公共性の評価は、一緒になってより良いものを組み立てる協働の手段に過ぎない。

ここまで書いて、ふと気づいて絶句。
ボクは、高校の物理、欠点やった。

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