« ととのいのある都市 | トップページ | 神戸復興塾15周年 »

2010年12月21日 (火)

【交通まちコミ概論授業報告】菩薩道としての協働ファシリテート

Img_01981 Img_01971

現場ファシリテートの基本は、こうあるべきだを押し付けない事だ。
自分は正論を言っているつもりでも、何も動かない。自他に苦ばかりがつのる。むしろ、現場の声に耳を澄ませて、私が変わることで、社会が変わるのである(因果応報)。私の変わり方には、衆生(凡夫)の声に仏を見る方法(浄土教)と、自らの仏性を磨く(禅道)がある。前者の他力本願が、衆生を信じる、衆生のワークショップでの発露に仏をみる住民協働のロジックならば、禅はリーダーにおける修行のようなものである。しかし、全体をファシリテートしようとすれば、コーディネートしようとすれば、両者を合一して五大(森羅万象:地水火風空)を観じる=メディエーションすることが重要だ。これが密教だ。全体を俯瞰しつつ、個別の事象にあたるのである。土木計画とは、そういう世のため人のための行為である。空海が密教を開拓しつつ、地元の貴族や住民を動かして満濃池を掘ったのはそういうことである。満濃池開発は、PFIだ。http://ja.wikipedia.org/wiki/PFI
 その手法は、怒ったり(不動明王)、救ったり(地蔵菩薩)、なだめたり(観音菩薩)する菩薩行なのである。土木計画者は菩薩業を実行せねばならない。
 その方法論を描いたのが曼荼羅である。胎蔵界曼荼羅は、暮らし世界をイメージしており、金剛界曼荼羅はプロセスデザインを描いている。胎蔵界が現場を俯瞰する視点なら、金剛界は個別問題を解決していくエンジニアリングのアプローチの探索である。
 したがって、土木評価はプロセス評価、住民評価によりチェックされ、現場現場の小さな取組みを組み合わせ、成功モデルにならって、大きな計画ができる。つまり、先導的なプロセスデザインの協働型交通まちづくりを実践し、それを基礎に国の法制度を整備していこうというのが、私の曼荼羅読みである。このロジックをもってすれば、単純効率論の仕分けなど、ぶっ飛ぶ。あんなバッタモンのアメリカ会計議論なんかは、密教で乗り越えねばならない。
 考えてみれば、くるくるバスは菩薩業の第1歩、広島交通連携や山口市交通計画はプロセスデザインの第1歩なのかもしれない。だから現場の声が強いのだ。

秋山工学博士の密教論をゲスト講義で伺い、上記のような我田引水をした。秋山先生、学生以上に私が勉強になりました。本当にありがとうございました。

|

« ととのいのある都市 | トップページ | 神戸復興塾15周年 »

授業(交通まちづくりと土木計画)」カテゴリの記事