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2010年12月

2010年12月27日 (月)

今年の反省

元旦、に次のように書いた。
「昨年は論文も少なく、何をしてきたのか年末、考えてみた。
 都市の暮らし方を研究してきた私が、1995年、震災で突如、多様な仲間と出あい、現実の都市社会と対峙することになり、皆で支えあう社会構築に関わり、2004年から、人の移動をも含めたまちづくりに関わった。ここ2年はその講演で全国を回った。昨年は、私の小さな経験から考えたことを、国の政策に活かしていただく機会を多数得ることができた。
 政権も変わり、みんなでつくる公共、新しい公共が求められており、当面、小さな私が為すべきことのような気がする。」
⇒低炭素社会づくりの民生プログラムを学生ちチームを組んで考えることができた。また、広島交通連携や関西バス情報見える化など、仲間と一緒に仕事ができた。
 友人(と思っている)の藤井聡さんとは関西バス情報見える化で一緒した。彼は「土木計画の目的は社会正義の実現である」と述る。藤井さんはクルマに頼りすぎない社会を作るための、個々の人々の意識に問いかけるフィードバックのあるコミュニケーションプログラムを作った第一人者。これも尊敬するが、私は「インフラ構築の目的は、幸福の持続」であると確信している。協働はそのプロセス自体が幸福であり、一瞬一瞬の幸福を連続していくことを、持続という。それを担保していくのは、個別のモード・インフラの確保だけではない。多様な人々が出会う場・時間、そして相互の信頼を支える語り合い・フィードバック重要と考える。

ということで、今年は夏遍路40日のように、模索の年だったなァー。今、某書店からまとめよと言われているので、来年は、土木計画の菩薩道を書いてみようと思う。

 ブログを定期的読者が100人弱いてくれる。ローカルネットワーク(4月18日)など思い切ったことを書くと、アクセス数が一挙に増える。お蔭様で、くじけず、少しづつ考え続けることができた。ありがととうございます。
 来年、少しはまとめたいと思っているので、みなさま、今後ともよろしく見守ってください。
 本年はここまで。来年は2日から。

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2010年12月22日 (水)

神戸復興塾15周年

私は、阪神大震災以後、まちづくりに関わった。当時、焼け跡で、多様な活動が展開した。神戸復興塾は、震災一周年を期に集まり、墨田区向島、中野区に震災語り部キャラバンを派遣したことがきっかけとなり生まれた同志である。
▼当面を見据えたボランティアとは一線を画し将来を見据え、
▼めっぽう現場に強く、こだわる専門家であり、
▼その先進性故に集団からはずれたはぐれ烏、
の義侠集団の議論の場、ネットワークという言葉さえなかった時代の野合、烏合と揶揄された集団であった。
「震災復興NPO曼荼羅」大津俊雄制作
「復興塾縁起」
「続復興塾縁起」
その仲間が作ったのが、神戸まちづくり研究所である。
 私自身の動きも、この学びの中から生まれてきている。

添付をぜひ、一読いただきたい。

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2010年12月21日 (火)

【交通まちコミ概論授業報告】菩薩道としての協働ファシリテート

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現場ファシリテートの基本は、こうあるべきだを押し付けない事だ。
自分は正論を言っているつもりでも、何も動かない。自他に苦ばかりがつのる。むしろ、現場の声に耳を澄ませて、私が変わることで、社会が変わるのである(因果応報)。私の変わり方には、衆生(凡夫)の声に仏を見る方法(浄土教)と、自らの仏性を磨く(禅道)がある。前者の他力本願が、衆生を信じる、衆生のワークショップでの発露に仏をみる住民協働のロジックならば、禅はリーダーにおける修行のようなものである。しかし、全体をファシリテートしようとすれば、コーディネートしようとすれば、両者を合一して五大(森羅万象:地水火風空)を観じる=メディエーションすることが重要だ。これが密教だ。全体を俯瞰しつつ、個別の事象にあたるのである。土木計画とは、そういう世のため人のための行為である。空海が密教を開拓しつつ、地元の貴族や住民を動かして満濃池を掘ったのはそういうことである。満濃池開発は、PFIだ。http://ja.wikipedia.org/wiki/PFI
 その手法は、怒ったり(不動明王)、救ったり(地蔵菩薩)、なだめたり(観音菩薩)する菩薩行なのである。土木計画者は菩薩業を実行せねばならない。
 その方法論を描いたのが曼荼羅である。胎蔵界曼荼羅は、暮らし世界をイメージしており、金剛界曼荼羅はプロセスデザインを描いている。胎蔵界が現場を俯瞰する視点なら、金剛界は個別問題を解決していくエンジニアリングのアプローチの探索である。
 したがって、土木評価はプロセス評価、住民評価によりチェックされ、現場現場の小さな取組みを組み合わせ、成功モデルにならって、大きな計画ができる。つまり、先導的なプロセスデザインの協働型交通まちづくりを実践し、それを基礎に国の法制度を整備していこうというのが、私の曼荼羅読みである。このロジックをもってすれば、単純効率論の仕分けなど、ぶっ飛ぶ。あんなバッタモンのアメリカ会計議論なんかは、密教で乗り越えねばならない。
 考えてみれば、くるくるバスは菩薩業の第1歩、広島交通連携や山口市交通計画はプロセスデザインの第1歩なのかもしれない。だから現場の声が強いのだ。

秋山工学博士の密教論をゲスト講義で伺い、上記のような我田引水をした。秋山先生、学生以上に私が勉強になりました。本当にありがとうございました。

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2010年12月20日 (月)

ととのいのある都市

まち歩きやお遍路、交通まちづくりの授業をするだけではなく、年末に中之島センターに集まって議論した。就活や英語資格・留学試験、修論などのなか、多くの学生が集まってくれ、まちの魅力、良いまちとは何かを豊中市を題材に議論した。
 千里ニュータウンはまちだろうか?庄内は魅力的か課題山積か?曽根や岡町の活動はもっと多くの人をなぜ巻き込めないのか?また、なぜまちづくりをしようとするのか、せんでも良いのではないかという意見も出た。
 こうしたなか、理系学部生で休学中にも関わらず帰省先首都圏から、この授業のために出てきてくれたA君が、「まちは整っていることが必要」と言い出した。
 彼は、大阪のYTT(たこ焼きを食べ、吉本を観てタイガースを応援する)一色、仲間落ちの雰囲気になじめず2年休学していた。心配した私の交通授業の受講大学院生が、森栗の授業をすすめたらしい。お遍路の授業に参加し、遍路道の住人から良い接待を受けた(深い話し合い)ようである。聞いてみると、来年、復学の用意をしているそうで、嬉しくなった。

A君の指摘するまちの整いとは何か。
 ごちゃごちゃした人間臭いまちは魅力的だ。そういう意味では、ベッドだけのまち:千里は、いくら高齢者施設を作ろうと建て替えしようと、まちにはれないという意見もある。しかし、もっと大切なことは、まちとしての整いがあるかどうか、どんなまちをめざすのかが、明確なことではないか。A君は池田市が整いのあるまちだという。小さくとも、歴史を踏まえてキラッと光る池田市に、彼は整いを観たようだ。
 私は、彼の視点を評価してとりあげ、私個人は人間臭い庄内が好きだが、実は、整いのまるまち、ビジョンの共有の有無が大切ではないか。豊中市にないのはその明確なビジョンの市民共有ではないか。京都にはあって、神戸にも何となくあって、大阪市に薄いもの。それは、ビジョンの共有ではないか。整いがないのに(ないからこそ)、吉本たこ焼きタイガースを押し付ける。それが息苦しく、彼は大学や町から離れたのではないか。A君の弱さといってしまえばそれまでだが、外から来た異なる文化の人に、YTTを押し付けるのではなく、そこはかとない整いを見せる誇りある町、それが大切だとA君は言っているのだ。

来春、元気なA君の顔を、豊中キャンパスでみたいものである。

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2010年12月15日 (水)

まち歩きツーリズムは民主主義再生、平和主義の決定打だ!

長崎さるくを成功させ、まち歩きツーリズムのブームを作り、わずか2年で大阪あそ歩に100以上のプログラム、さらに京都、堺、神戸、奈良へ関西あそ歩を拡げ、さらには海外での展開を考えている茶谷幸治さんを大阪大学にお迎えし、CSCD教員とアートまち歩きや、多言語でのインバウンドまち歩きの可能性を議論した。

単なる歴史知識を開陳する観光ボランティアではなく、自らの街を誇り高く語り歩くコミュニケーション型のさるく:あそ歩の意味を語り合った。
 従来のマスツーリズムは、旅行会社が価値を決定し廉売する商品であった。観光ボランティアやさるくガイドは、ビジター市民に居住市民が価値を伝えるコミュニティ・ツーリズムである。さらに、さるくは、まち暮らしのリアリティをわかちあい、まちへの愛着を育てる民主主義醸成機能がある。さるく課長であった田上が長崎市長になったのは、この実例である。さらには、インバウンドのさるくは、異なる暮らしを尊重しあう、理解しあう、平和構築の民際工作である。
 そもそも、まち歩きごとき、ハコモノも予算も必要ない。そのわりには、人々を郷土愛に導きまちづくりを促進させる。いや、世界平和構築の切り札である。

まち歩きこそ、ローリスク・ハイドリームの地域づくりなのである。というところで、二人で大笑いした。来年、5月に大きな動きを計画している。ご注目を!

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2010年12月14日 (火)

【交通まちコミ授業】仏教と土木計画

秋山孝正@関西大学 先生をお迎えして、学生と議論した。以下は、ノートを基にした私の意見。

社会というのは、キリスト教のいうように「割り切れる」ものではない。
アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と量子力学※1を否定したが、実際の社会は、物理量にもとづくものだけではなく、フラクタル※2な波動、サイコロによっても成り立っている。
   ※1=古典力学で説明しきれない電子や原子核などの間の微視的現象を説明するために開発された物理学の理論である。
  ※2=図形の部分と全体が自己相似になっている状況、正確には数学的に説明できないこともあることをいかに説明するかが難しい。
 アインシュタインやキリスト教ヒューマニズムには申し訳ないが、人間以外も含めた複雑系によって社会は成り立っている。仏教的にはこの社会を因縁と定義する。
因縁には因果があり、因果は確率解釈によって量子力学的に統計推論することができる。

 キリスト教では人間は絶対神にはなれない。しかし仏教では修行すれば仏になれる※3
たとえば、災害などの苦行では、地獄に仏が生まれる。災害時の「優しさ」とか「助け合い」、震災ユートピアが、社会における仏の発露である。減災計画は、仏を組みこもうという土木計画である。従って、古典物理学よろしく、防災力学だけを計算している古典物理学的研究者と、どのようにコミュニケーションをとるのかが課題である。
  ※3=ただし、日本では菅原道真、平将門、相良親王など非業の死を遂げた人は、怨霊神となり、落雷、伝染病、地震などを引き起こす。地域計画学は、制御失敗による天災をも視野に入れ、自然への畏敬を含めて計画、評価する必要がある。例えていうなら、怨霊神も予め想定して(祭祀して)おれば、何らあわてることはないのである。これが古代の防災計画である。

 人生は四苦八苦である。後悔しても苦が重なるばかりである。
むしろ、事実を見極め
 ・文脈
 ・波動関数
を分析し、「あれかこれか」(キルケゴール全集第1巻)を見定める評価が必要だ。

では、どのような評価をするのか?評価には、
①経済評価(費用対効果:B/C)
②機能評価
③公共性評価
がある。
正便益不採算論は、「えーことやから不採算でもエーやろう!」と誤解してはいけない。
 ①経済評価、以上に、②機能や③公共性に関する評価法もあっても良いのではないかという議論である。
 ②機能評価については、60%の「ほどほどの合意形成」で、やってみんとわからんから、「社会実験」は、その評価方法の一つでもある※4
  ※4=もっとも、ほどほどの合意もないままの社会実験も多い。愚の骨頂、実現性乏しい社会実験は、山のようにある。
 ③公共性評価は、議論の場を設け、議論を尽くすことである。ときには、合意がとれないという合意を決定し、次にすすむ手法もある。議論し、臨機応変に組み替え、それを情報公開したというプロセスこそが、地域づくりにおける公共性評価の指標の一つである。②③は相対評価、相互評価、自己評価によるものであり、数値絶対評価がすべてではない。評価は、数字やディベート、大声で、上下、優劣をつけるものではない。機能や公共性の評価は、一緒になってより良いものを組み立てる協働の手段に過ぎない。

ここまで書いて、ふと気づいて絶句。
ボクは、高校の物理、欠点やった。

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2010年12月13日 (月)

ピンピンコロリに公共交通、バス事業者の心中UPを訂正

前回、前々回の紹介ppt、読めないとのご指摘がありました。すみません。
修正してUPします。興味深いので、見てください。
「バス事業者の心中」
「ピンピンコロリに公共交通」

12/6の授業のメモ
(公共交通事業の積極新経営=住民協働型の意味)
第1段階 価値決定権は産業革命で大量生産する企業
 製品中心主義
第2段階 価値決定権は情報革命で消費者に
 情報戦略中心主義⇒ユーザーイノベーションの可能性
第3段階 価値決定権はICTで公共的協働市民に
 価値中心主義

交通事業者で云えば、
①=路線を充実させる、運賃を安くしてたくさん乗ってもらう
②=10分毎のパターンダイヤ、ミニ時刻表を配る
③=守る会の通信を全世帯に配る、ツイッターで遅れを皆に知らせる

①段階は、経済価値と機能価値が大きい
②段階は、機能価値と心理価値に比重が大きい
③段階は、心理価値に大きな比重が
 機能価値とは、便利だとか、わかりやすいとか
 心理価値とは、マイバス意識、生活不可欠守りたいとか

こうして立ち上げた路線(新商品)を出す場合
 リスクマネージメントを考えておくべきだ
not あかんかったら逃げる butジャストフィットの違うサービスを考えておく べきだ

こうした経営視点から、協働型交通事業者は、
地域の交通を活かした地域づくりの最初から関わり
 住民・行政相互の思いをわかりあい
 目標に向けて努力をわかちあい
 まちづくりのビジョンを思い込む
ことが重要である。

以上の経営理念が必要である。

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2010年12月10日 (金)

ピンピンコロリに総合公共交通計画

またまた、パワポ総集編「ピンピンコロリに公共交通」 から

認知症で運転免許を持つ方の約4割が事故を起こしていたという報告(高知大学)。(高知県提供)
70歳だと、クルマの運転を控える人が50%(総務省調べ)
(非外出と寝たきりの因果関係は証明が難しいが、軽度者の重度化要因調査研究報告書(NPO地域保健研究会,2005)によれば、非外出の16%が抑うつであり、視力弱体による外出控えも大きな要因。結果、寝たきりのうち、30%程度は、非外出が原因となっている模様)(東京都老人総合研究所調査)日本経済新聞2007/11/4             
高齢者の外出回数〈1回/日〉以上の人は、〈週1回〉以下の人に比べ、歩行障害のリスクが1/4 認知症になるリスクが1/3.5以下
家族や行政サービスのクルマ送迎だけでは、寝たきりを30%増やし、結果、認知症を促進する。

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2010年12月 9日 (木)

バス会社は、基本、なぜサービスが悪いのか

最近、交通に関わった5周年を記念して、これまでの講演・講義録の重複や筋を整理して、大河ドラマのようなプレゼンをつくっている。そのなかで、当たり前だが、改めて説明せねばならないことも多い。
 その第一が、なぜバス会社は、基本的に、なぜサービスが悪いのか?運転手が乱暴な口利きで、不便なバスダイヤのままなのか?、ホームページに路線図がない、あってもわからない、のか?
 そのくせ、なぜ運輸局には「親会社」のように気遣うのか? 
 あたりまえのプレゼンを作ってみた。
「バス事業者の心中」(パワポのスクラップ)

これを見ると、コミバスが既存バス路線の上をはずして作らねば大問題になるのか。それを乗り越えるには、運輸局と住民が机の下で手を組みつつ、バス会社と笑顔で向き合うしたたかさが必要だ。バス会社は、先手をとって住民と手を組み、運輸局に配慮をさせる経営努力が必要だ。残念ながら、そんな会社は、今の所少ない。

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2010年12月 5日 (日)

15年目の新長田

震災直後の新長田のまちについて、神戸復興塾のメンバーは、いろんな議論を住民としてしてきた。
 再開発の多すぎる保有床、定着しない人口(売り切るため土地値を安く設定したため、不動産投資に走る団塊世代等の非居住購入者も多い⇒10年後の値崩れが怖い)、高い共益費の一方、再開発周辺の衰退、高齢化と空地は、日に日に厳しく、地元商人と顔をあわせづらい状況にあった。
 そこで、3日夕、復興塾15周年として、地元の方々と語り合う機会を設けた。東京からも、参加してくれる方もあった。
 驚いたことは、再開発地区は鉄人28号モニュメント効果もあって、経済効果は高く、まだまだ下火にならないらしい。丸五市場では、アジア屋台が功を奏し、常連もついて定着してきたようである。本町筋では、若手の跡継ぎが動き出し、イベントではなく、今後は個店の支援をするような行事(魚のさばき方会など)をしたいという。

長年、つかず離れずおつきあいしてきたが、こんな前向きな話は聞いたことがない。
商業の縮小と再開発の矛盾が徐々に露呈し、商人ごと、地域ごとの個別利害が先鋭化しているのは事実であろう。ところが、この前向きは何だろう。

それは、この矛盾、厳しい中で生きていく覚悟ができたということではないか。行政の後についていけば副都心ができてもうかるとか、震災の被害をうけたんだから、取り返してやろうとか、そんな気持ちを捨て、現状を見つめて生きていく覚悟ができたからなのであろう。
 良くしたもので、人間は10年、ダメだダメだと議論できない。疲れてくる。現状を見つめて、それではどう生きるか、地道に考え出した15年目ではなかろうか。

嬉しい語り合いであった。
Nさん(丸五市場理事長)。震災以来、何度となく話し合ってきて、こんな前向きの話は、初めてやね。本当に嬉しい。長い、長い、模索やったねえ。これからですね。

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2010年12月 2日 (木)

安寧の町は誰が作るのか!いつどうやって作るのか?

11月10日「安寧のまち」で、オールドニュータウンの再生に関して、自治体職員の自主研修として、あんな手こんな手をアフター7に集まり、皆で考えている。
 しかし、「ホンマにアンタが住みたい町か?」と考えて計画を作れ!との剛速球指令が、事務局の親分から投げられ、昨日、皆が集まり深夜まで議論した。

そもそも、住民がお互い知り合いでないことがあれば、議論が始まらない。知り合う機会が必要である。その上で、空地農園、街路樹自主管理、シェアバッテリーカー、自主買物バス、などを検討する場を、行政が提供し、実行に当たっての土地利用の信用担保をする必要がある。
 その事業推進者は、まずは自治会や地元の活動団体であろう。単なる買物バス運営会や、農園運営組織ではない。他の移動困難を抱える隣の町の移動支援にまで手を伸ばすまでの、地域再生の計画相談運営評価組織にならねばなたない。

こうなると、行政のみならず、住民にもプレゼンをせねばならない。
「いえいえ、我々は好きで空地農園をやっているので、そこまでは難しい」と住民がいうなら、今後10年の高齢化のなかで、現状のままなら、地域がどう立ち往生するか2020年代の予想図を示せば良い。

今の人々が楽しく農業した後、空地はさらに広がり、在宅福祉の支援は行き届かず、80歳ドライバーが危険を覚悟で移動し、知り合いがおらず孤独死する人が激増する町になる。
 論理的に想定される予想図も丁寧にお示しする必要がある。

発表会は、12月13日(土)。ご関心のある方は、再生塾:持続可能な交通とまちをめざして

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