女人高野:室生寺に行って来た。一山紅葉という箕面のような美しさとは一味違う、しっとりとした綾錦であった。土門拳が愛し、多くの人が憧れる室生には、なるほどと思える美しさであった。
本堂、五重塔の下、境内で野点があり一服いただいた。傘に緋毛氈のなかを、皆がニコニコしながらお手前を受けていた。
日本の美とは、単なる紅葉や文化財ではなく、四季や文化の中、こうした相互の信頼関係のなかでのわかちあいの視線のなかにあるように思えた。茶碗にはかわいい、奈良絵が描かれていた。
前回、地域の安心と愛着心を育てる市民をもっと増やす、強くすることが重要だと書いたが、それは欧米流の地域自立協働ではなく、こうしたそこはかとない信頼感に基づくささえあいの協働を、我々は夢見ているのではないかと思う。
急激な高齢化と厳しい暮らし向き、異なる価値観の先鋭化した社会だからこそ、なおのこと、この国のささえあいの美を見つめ、少しでも展開することが私の使命なのかなあと思う。こうした自律的なささえあいの一方で、旧態とした馴れ合い構造が人々の協働を阻害することもある。私は馴れ合いを潰し、ときには恨まれることがあることも覚悟しなければならない。
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