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2010年11月10日 (水)

安寧のまちづくり

交通を活かしたまちづくりの現場調査にもとづく自治体職員・コンサル・大学教員などの自主的政策勉強会で、A市B電鉄奥のC団地を考えた。孤立したどん詰まりの団地が高齢化し、空地、空家が目立つ。住民や役所は、若い人に来て欲しい、地価を維持したい、空家を減らしたいという。 コミバス充実か、乗り合いタクシーかと議論したが、どう考えも難しい。政策提言は、デッドに突き当たった。
都市住宅学でも、リバースモゲージだのなんだの言うが個人の資産は難しい。東京大学の偉い先生が、デマンドの実証実験をしたが、あれはどないなったんや?
 そもそも、少子高齢化、床あまりの日本において、地価を上げたいとか若者を呼び込もうという右肩上がり時代の妄想を真に受けるほうが珍妙。何だかんだと、偉い学者の無責任な言動の検証はしたか。無責任な実験や実現性が担保できない提言に、加担する行政マンで良いのか?

はっきり言おう。
 歴史的人為的に形成された住宅団地が、歴史的に淘汰されるのは自然の摂理。持続性を心配する閑があったら、今、暮らしている人々が如何に楽しく、気持ちよく、安心して暮らし続けることができるか、ともに暮らす仲間や慣れ親しんだ町とともに終の棲家で暮らす幸福を享受できるかが重要だ。
 近くにゴルフ場があるなら、地元民平日割引のゴルフ場地元開放から、空地農園と集会所にシャワーやパーティールームを設けた倶楽部ハウス化(フィットネス農園ex.成城学園小田急貸農園)、地元民のボランティアも含めたデイケアなど包括支援センター、ターミナルケア・・・。元気な高齢者が、少し元気を無くした高齢者を支援する、相互支援の持続ビジネスマネージメントを主体的に構築する(シェアする)ことが重要だ。行政はその示唆とサポートをすれば良い。

高齢化というクライシスに対して、行政に依存し、安心を担保できないと不満を言うだけでよいのか。災害というクライシスに対して、安全を保障せよと要求するだけで良いのか。
安心安全、ゴミと防災だけのコミュニティ活動ではもったいない。
 日常の快適性、多様な課題を相互に支えあって解決し、構築しつつ、そのプロセスを楽しむようなしなやかな支えあいの連続性、持続性、そのシェアマネージメントこそ重要ではないか。
 高齢リーダーは、地価が上がったらとか若い人が住んでくれたらと、評論・嘆く暇があったら、身近な地域のために手を動かせ。行政評論をして満足している暇があったら、人様の目に付かないところで地域の役に立ち、一隅を照らせ!リーダーが、高齢化を嘆き、行政を非難するだけで、何の動きもしないなら、そんな地域は捨て置いたほうが良い。
 もし住民が自ら動くなら、その日常を支える、セニアカーポート、その安寧暮らしのアクセントとしての外出を支援するデパートでの電車バス料金割引、買い物バスなども重要な支援メニューである。
 持続的安心、日常の安心・快適、高齢化社会を自立的に保証する安寧長久のまちづくりが求められている。交通はその手段、支援ツールのひとつであって、それで全てが解決されるわけではない。

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