« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

2010年11月

2010年11月29日 (月)

Img_0155 Img_0153

女人高野:室生寺に行って来た。一山紅葉という箕面のような美しさとは一味違う、しっとりとした綾錦であった。土門拳が愛し、多くの人が憧れる室生には、なるほどと思える美しさであった。
 本堂、五重塔の下、境内で野点があり一服いただいた。傘に緋毛氈のなかを、皆がニコニコしながらお手前を受けていた。
 日本の美とは、単なる紅葉や文化財ではなく、四季や文化の中、こうした相互の信頼関係のなかでのわかちあいの視線のなかにあるように思えた。茶碗にはかわいい、奈良絵が描かれていた。
  前回、地域の安心と愛着心を育てる市民をもっと増やす、強くすることが重要だと書いたが、それは欧米流の地域自立協働ではなく、こうしたそこはかとない信頼感に基づくささえあいの協働を、我々は夢見ているのではないかと思う。
 急激な高齢化と厳しい暮らし向き、異なる価値観の先鋭化した社会だからこそ、なおのこと、この国のささえあいの美を見つめ、少しでも展開することが私の使命なのかなあと思う。こうした自律的なささえあいの一方で、旧態とした馴れ合い構造が人々の協働を阻害することもある。私は馴れ合いを潰し、ときには恨まれることがあることも覚悟しなければならない。
 

|

2010年11月26日 (金)

地域力と制度疲労

「地域力の向上による市民議論が市政改革を支える」と、平松市長の姿勢を信じると書いた(24日)。
 しかし、大阪市役所をとりまく大赤字公営交通、川ゴミ現金着服や川への岡ゴミ投棄による定員確保、レインボーカード横流しなど、大阪市役所の制度疲労に対しては、実質のところ、制度改革も必要だと考える。それは、大阪市役所を解体するというような地域での動きではなく、国の制度を変えるのが本筋。橋下知事は、経営コンサルタントを入れて大阪市役所を攻撃している暇があれば、大臣になって一気に制度を変えたほうが良い。

たとえば、大阪市営交通の赤字体質を変えようとしても、労働組合の既得権益障壁は大きい。少々の市民議論で変わるとは思えない。むしろ市民議論を担保する法律を作り、その議論に基づかなければ国の支援が一切ない制度を作ることが重要である。

暮らしに根ざした市民力強化によって達成できる市政改革もあると思う。が、内部改革だけでは困難なのが、公営交通や環境衛生事業(とくに下水道維持)、教育改革など特別事業である。市民議論を入れた先導的事例(例えば、広島交通連携)を示して、それにならって法的根拠を作りつつ、各地で市民目線にそった改革を実現していくしか、方法はない。
 そういう意味で、国の既存公共交通支援スキーム、下水道事業支援スキームなどは、抜本的に市民目線で見直す時期に来ている。
 2010年ー20年の高齢化は、これまでの人口構成とはまったく異なる大量の高齢移動困難層と、経済格差と輸送部門CO2削減による自動車保持困難層を想定せねばならない。個々の地域で、具体展開を市民目線、生活者目線で議論し、それによって最適モード、最適事業者を整備する必要がある。この時代変化に対応・貢献できない既存事業者や制度枠組が(あるとすれば、それらが)退場することも想定した、自治経営的な市民議論を担保する法整備が必要である。

|

2010年11月24日 (水)

地域からの行政改革「大阪をあきらめない」

天王寺区地域懇談会のコーディネーターをした。町振興会など多様な地域組織が連携して子育てや高齢者福祉などの安心活動をしている活動や、子どもたちの地域愛着心を育てる地域活動をしている活動の紹介があった。
 平松市長は、こうした膝詰め座談を常時展開し、局長以下、市職員も地域に出向き、市民の思いに耳を傾けている。
 ただ、橋本知事の大阪市役所解体:大阪都構想、そのための地域政党維新の会のセンセーショナルな動きがあり、これに異論、市長、強い発信をの発言が多く出た。
 しかし、自由意見では大阪都構想関連は20%ほどで、大方は地域活動でどのようにマンション住民と連携するのか、役所の対応が縦割りで地域活動の展開が困難であるとか、地域に根の生えた議論であった。
 市長は、「大阪をあきらめない」と表現し、ともすればTVに影響されて評論家的となり、大きな力に期待しがちなムードを戒め、地域力の向上、その議論が市政改革を支えると、現状での行政改革の成果を訴えた。

大阪市役所をとりまく不効率、職員の不正には、根深いものがある。議会の課題も多い。橋本知事が市役所に乗り込んで解体するしかないというのも一つの意見である。名古屋では、河村市長が議員報酬半減、減税で闘い、大村(自民)議員と連携して知事選を闘おうという動きもある。
 しかし、地道に地域活動をもっと掘り起こし、強い地域活動を基礎に、市政改革を市民と一緒にすすめようという平松市長の考え方もある。そもそも、課題が山積だからといって、知名度のある英雄が出てきて、自治体を力づくで解体しようというのは、地方主権のあり方から言って妥当だろうか?ヒットラーじゃあるまいし・・・。

政治がどう動こうが、地域の安心と愛着心を育てる市民をもっと増やす、強くすることが重要で、それなしに大阪はどっちみち不正の温床や、アカンと評論家気取りで見限ることはやめてほしいと市長は訴えている。
 これに対して、多くの市民が大阪への愛着心、活動の継続を議論した。
大阪市役所という重病患者を、手術と抗生物質で対処するのか、体力増強免疫力強化と漢方薬で治癒するのか、という議論であろう。
抗生物質の多様は、多剤耐性菌を産み、さらなる医療課題を産むこともある。抗癌剤と癌検査は、人々の免疫力、治癒力を落とし、何よりも生きる気力を殺がことがある。
【2010年1月3日本ブログ、森栗茂一 「研究ノート 聞書き「玉川温泉生活誌」~末期がん患者の集まる温泉から~」『開発と環境』第6号、2004年、大阪外国語大学開発環境講座

昨日の天王寺区の議論を見る限り、まだまだ連携した市民活動の可能性はあり、そこから行政改革も含めた議論をする余地はある。市長もその勝算を持っている。私は、平松市長が、環境局の不正や、交通局の赤字体質を、市民議論で行政改革しようとするなら、その動きを信じたいと思う。
 

|

2010年11月23日 (火)

【交通まちコミ授業:緊急連絡】

各人にメールしたように、本日、10時、阪堺電車南霞町駅(JR新今宮、地下鉄動物園前駅接続)、集合に変更。阪堺電車、赤バス(天王寺区)の見学

|

2010年11月21日 (日)

【交通まちコミ概論】23日くるくるバス+天王寺区

22日「住民協働型交通まちづくり」とは何か?
23日(祝)阪急御影駅10時集合〈待たない〉⇒お屋敷街⇒JR住吉駅(遅れた人はJRに先回りOK)⇒くるくるバス⇒住吉台⇒315段階段⇒市バスが来る渦森台⇒甲南病院⇒阪急御影北側駅広場⇒JR桃谷⇒近鉄100円バス・赤バス⇒天王寺区役所⇒平松市長協働語り合い
【お詫び:奇妙なコースは、うっかりタヌキのWブッキングのせいです】

29日 ゲスト:松本先生(みなと観光バス社長)
12月6日 ゲスト:〃
12月13日 ゲスト:秋山先生(関西大学)
12月18日 中之島センター(各種コミュニティ授業の発表)
12月20日 ゲスト:〃
1月24日 ランチコミュニケーション

OP:
12月3日(夕方) 商業者とNPOの語り合い(神戸市新長田地区)
12月18日(午後) 震災ウォークとNPOネットワーク(神戸市長田区)
1月9日 iウォーク

|

2010年11月19日 (金)

関西バス情報見える化会議

本日、関西2府4県のバス事業者、行政が集まり、バス情報を共通ですべて携帯、PCで見れるようにする連携会議があります。

そのプレゼンをお示しします。

「連携による新しいバスを中心とした公共」

|

2010年11月18日 (木)

【お知らせ】神戸復興塾15周年記念
「新長田商業者の皆様との語り合い」(12/3) と
「プレ・iウォークと座談『復興塾とは何だったのか』(12/18)
 及び iウォーク「新長田語り合い・復興塾」 
主催 神戸復興塾、神戸まちづくり研究所
後援 科研「ジェンダーと災害復興」
                   (ウォークは、こうべiウォーク実行委員会主催)
震災語り部キャラバン(1996年)がきっかけとなった神戸復興塾のネットワークは、このたび15年を迎えることとなりました。このネットワークを基礎とした政策提言、NPO中間支援組織である(特)神戸まちづくり研究所は、創立10年を越えました。
 震災後、神戸市民、とりわけ長田区民の皆様との語り合い、ウォーク・現地交流が大きなコミュニケーション・学びの場でありました。
初心の場、長田区で地元の皆様のご協力をいただき、記念事業をおこなうこととなりました。ぜひともご参集いただけますよう、お願い申し上げます。

なお、準備の都合があるものもあります。万難調整のうえ、
思い立ちますれば、ただちにご参加をお申込みいただけますよう、お願い申し上げます。

申し込み先(神戸まちづくり研究所:担当・川村・森栗 LET07723◎nifty.ne.jp ◎=@)
締め切り 11月29日(金曜日)

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
名前(        )
(復興塾以外の方はメールアドレス:            )
12月3日(金) 商業者との語り合い ( )参加 ・ ( )不参加
12月3日(金) 商業者との語り合い懇親会 ( )参加 ・ ( )不参加
12月18日(土)プレウォーク      ( )参加 ・ ( )不参加
12月18日(土)インタビュー「復興塾とは何だったのか」 ( )参加・( )不参加
1月9日(土) iウォーク   自由参加(市民活動寄付金 一口1000円)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

■12月3日(金曜日) 於:神戸市立地域人材支援センター(http://futabasyo.jp/
19時―20:30(21時閉場)
 商業者の皆様と復興塾メンバーとの語り合い
  司会・進行 森栗さん@大阪大学
  コーディネータ 三谷@関西大学
   商業者 西村政之さん(丸五市場)
        苦しい中で震災以後、伝統ある市場を守り育てている
   商業者 山本豈夫さん(本町筋商店街)
        震災以後、地域づくりと活性化にご夫婦で取り組んでいる
   商業者 上田司郎さん(前TMO社長:大正筋商店街)
        再開発と商業推進の和の中心である
   まちづくり会社 宍田正幸さん(新長田まちづくり会社社長)
        一貫して長田の商業と中所企業を見守っている
   復興塾 大津俊雄@神戸国際大
   スタジオカタリスト 松原永季さん
20:30-22:00 懇親会

■12月18日(土曜日) 
15時 大国公園(長田区:JR鷹取駅南東すぐ)集合
15:00~16:00 iウォーク:プレウォーク(大国公園―新長田―御蔵[高速長田駅近く])
   各方面の住民・商業者にiウォーク御願いをして歩く
   協力:野村防災研究所、まちコミュニケーションなど
16:30―19:00 復興塾とは何だったのか?16年目座談会
           於:神戸市立地域人材支援センター(http://futabasyo.jp/
野崎瑠美、小森、三谷、大津、室崎、小林、野崎隆一、石東、上田、森栗[17時より]
   聞き手:山地久美子@関西学院大学、

■1月9日(土曜日)
iウォーク      主催:こうべあいウォーク2011実行委員会
(しみん基金・KOBE、神戸復興塾、神戸まちづくり研究所は確認済み、まち・コミュニケーションと甲南女子大学[未定])
 未定も含めた予定
9:30-10:00大国公園―鷹取協会―古市さんのお話―鉄人28号―震災写真展―丸五市場―せせらぎ公園(ケミカルシューズのまちの復興のお話―まち・コミュニケーション)―
ゴール設定:12:00-13:30

|

2010年11月17日 (水)

デッドロックから発意される「志」

大都市の住民参画による環境交通の協議会。環境定期券が議題となった。この協議会では、市民の提案は全部取り上げて議論しようと決めた。が、流石に料金に関する議論は、個別交通事業者の収益に関わる問題なので、難しい。
 とはいえ、市民提案の環境定期を議論しようとしたら、実際には、定期券を持っていれば、土曜日曜は、一緒に乗る家族は半額(子どもは1/4)という、いつでも環境定期になる制度があった。ところが、6名の市民委員の誰もが知らない。制度は良くても広報が悪いのかと話をすすめていくと、交通事業者は環境定期券設定の折には派手に宣伝したようだ。そのうち、市民の一人が「複数競合路線のところでは来たバスに乗る。割引率が低いので、特定のバス会社の定期は買わない」と実態を語り出す。
 環境定期の課題は、その商品設計ではなく、広報でもない。実は、一つの都市で数社が入り乱れ、連携できず、利用者にとって使いづらいという古い営業体質にあったことが判明した。市民にしてみれば、ヨーロッパには、オスロカードなど、何でも乗れる1日券があるのに、何で日本ではできないのかとの質問が出る。
 事業者や運輸局が答えるのは辛いので、私が「欧州では交通税の公金が運輸連合に入っている。だから運賃の共通化、ゾーン運賃ができる。日本は交通税がなく、人口増加にあわせて、交通事業者がその収益増加で障害者割引、通学定期などを工夫してきた。だから難しい」と説明。説明はできても、では、どうしたら良いか?これは困った。根本問題でデッドロック!
 座長、右往左往で各方面の意見を促していると、バス事業者の幹事から「個人的意見ですが」として、「各社縦割りの状況がある」との告白があった。

根本問題を真摯に共有すると、雰囲気は一気に建設的に変わった。市民の意見に、交通事業者がいちいち首を縦に振ってうなづいていた。市民の一人が「特定期間に共通券を試してみて、後は通常時期の按分で精算すればどうか」と言い出したとき、私は次のようにまとめた。
「交通事業者には知恵がある。共通切符・共通定期、その延長としての環境定期については、交通事業者どおしの議論と運輸局の支援に期待しよう。今日は、ここまで」
 真摯に市民の声に耳を傾け、議論のデッドロックを受け止めて、改善しようと「志」を示した交通事業者間のリーダーの勇気に感動した。そこを信頼しようというのである。 

これからの公共インフラは、こうした市民を交えた議論を尽くす中から発せられる、専門家の決意、叡智から、大きく開発・改善がなされる。決意、叡智は、市民の信頼に支えられてこそ、揺らぎないものとなる。これだから、住民協働型交通まちづくりは、面白い。

|

2010年11月16日 (火)

市民協働の市民の代表制は誰か

参画と協働というが、実際は、審議会などに自治会連合代表なんかを「参列」させて、いかにも市民代表の体裁をとっている。多くの会議では、こうした長老は寝ていることも多い。発言を求められると、敬老パスは続けて欲しいと嘆願するのみ。
 自治連会長が元議員長老というところもある。歳費報酬をもらっている議員の代表制と、ボランタリーな自治会役員の代表性を、どう判断すべきか?退職名誉職としての委員で良いのか?

 環境や交通の審議会・協議会では、熱心な「電気消しましょ」環境オタクの爺の代表が、「原子力を環境計画にどう位置づけるか」とか言い出す。
【アンタが勉強してることはヨーーーわかった、が、今は地域の計画。そんなもん、地域の温暖化防止計画に入れられるわけがないだろ!知ったかぶりの評論は時間の無駄や】
 交通マニアのNPOが市民代表になることも多く、やたら知識をひけらかす。欲しいのは、生活者的視点であって、TV受け売りのあんたの知識ではない。
 環境マニア、交通オタクのなかには、少し病的に細部にこだわることがあり、一人の暴発で協議会が一気に混乱することもある。

協議会等において、市民の参画をすすめるにはどうすれば良いのか、議会との役割分担をどうすれば良いのか、難しい課題である。名古屋市長のように、議員の歳費を半額にし、議員の数を減らせば良いというものではない。それは置くとして、前者:市民の代表性はどのように担保すべきか?難しい課題である。

私は、個別の地域で個々のテーマ(環境、交通、福祉、子育て、まちづくり、観光など)コミュニティ・マネージメントを担っている団体(協働者)に、一定の社会実験委託を含めて協議会参加に応募いただくのが妥当と考えている。
 役人や企業・事業者、それに議員は仕事として協議会に来ている。会社はコストを負担している。なのに、市民に無償でボランタリーに協議会に招くのでは、充分な議論を期待するほうが、虫が良すぎる。
とはいうものの、これでは気軽に審議会、協議会が開けない。

 が、報酬はなくとも市民的智恵を出していただく、参画していただくことは、必要かもしれない。特定の団体、個人を安易に指定せず、作文・ワークショップで公募・選考し、意欲と市民センスのある方に御願いするという手もあるのではなかろうか。
 本日、広島で交通連携。公募した市民委員と会議の前に、中国運輸局環境交通部長室で、一緒にお茶を飲んで、少し自由な意見交換をしてみようと思う。選考後の出席市民のセンス、能力発揮、やる気の醸成も重要であろう。
そのあたりのマネージメント、按配も座長の見識であろう。これからの学識には、そういうバランス感覚も必要ではなかろうか。

|

2010年11月14日 (日)

ロールプレーワークショップと防災まちづくり

東京都墨田区向島の一寺言問を防災のまちにする会(一言会)25周年に招かれ、防災のみに偏らない、多様な世代、多様なセクターが支え合う総合的まちづくりの話をさせていただいたが、釈迦に説法だった。
 一言会では、路地尊(バケツリレーのための雨水溜)や有季園(元向島置屋跡を区が買い、市民農園として使っている)、道路のポラード整備、瓦版の発行、こども防災ワークショップ(小中学校)、路地奥の緊急避難路づくり、まちづくり談義、衆会などをすすめている。こうした活動が25年も続いていることに敬意を表したい。
 ところで、この運動の当初、住民、行政など多様なセクターの納得を得るため、提案を演劇でやったと、当時のコンサル(現明治大学教授)から伺った。かれは、お堅い役人役をしたとか。
 ワークショップ(WS)はアメリカでは演劇から始まり、日本では80年代から世田谷のまちづくりで応用されだした。日本のまちづくりWSでは、ロールプレーをするケースは多くない。ところが、向島では、1985年に、ロールプレーでコミュニケーション型まちづくりの提案が行われていた。このまちづくりをサポートしてきた人々の意識の高さが理解できた。住民も偉いけれど、向島に入るサポーターの意識の高さこそが、この運動の推進力であったのではなかろうか。
【業務連絡】15日、交通まちコミュニケーション概論、休講です。

|

2010年11月11日 (木)

地域産物を活かしたコミュニティ活動

淡路島の公民館で、生姜入人参林檎ジュース、玄米餅、ぐみ入りびわ葉ゼリー、という喫茶をやっていた。Img_0228

蚕を展示し、桑の実も試食できるようだった。(下は桑の実)秀逸の試みである。Img_0234

ところが、ここまでやっていて、材料の人参、林檎がスパー購入だった。自給率の高い淡路島では、珍しいものでなくとも、できるだけ地元産品だけで、誰でもが参加できるような、歩いて行けるような、または送迎がついたふれあい喫茶が、持続的に続いていてくれれば、なお良いのにと思った。
 珍しいものは提供する側はおもしろいが、それだけではいけない。持続性、自給性、アクセスサポートを含めた、派手ではないが配慮のきいた取組も重要ではなかろうか。6月に出会ったこの行事は、今も継続されているだろうか。

|

2010年11月10日 (水)

安寧のまちづくり

交通を活かしたまちづくりの現場調査にもとづく自治体職員・コンサル・大学教員などの自主的政策勉強会で、A市B電鉄奥のC団地を考えた。孤立したどん詰まりの団地が高齢化し、空地、空家が目立つ。住民や役所は、若い人に来て欲しい、地価を維持したい、空家を減らしたいという。 コミバス充実か、乗り合いタクシーかと議論したが、どう考えも難しい。政策提言は、デッドに突き当たった。
都市住宅学でも、リバースモゲージだのなんだの言うが個人の資産は難しい。東京大学の偉い先生が、デマンドの実証実験をしたが、あれはどないなったんや?
 そもそも、少子高齢化、床あまりの日本において、地価を上げたいとか若者を呼び込もうという右肩上がり時代の妄想を真に受けるほうが珍妙。何だかんだと、偉い学者の無責任な言動の検証はしたか。無責任な実験や実現性が担保できない提言に、加担する行政マンで良いのか?

はっきり言おう。
 歴史的人為的に形成された住宅団地が、歴史的に淘汰されるのは自然の摂理。持続性を心配する閑があったら、今、暮らしている人々が如何に楽しく、気持ちよく、安心して暮らし続けることができるか、ともに暮らす仲間や慣れ親しんだ町とともに終の棲家で暮らす幸福を享受できるかが重要だ。
 近くにゴルフ場があるなら、地元民平日割引のゴルフ場地元開放から、空地農園と集会所にシャワーやパーティールームを設けた倶楽部ハウス化(フィットネス農園ex.成城学園小田急貸農園)、地元民のボランティアも含めたデイケアなど包括支援センター、ターミナルケア・・・。元気な高齢者が、少し元気を無くした高齢者を支援する、相互支援の持続ビジネスマネージメントを主体的に構築する(シェアする)ことが重要だ。行政はその示唆とサポートをすれば良い。

高齢化というクライシスに対して、行政に依存し、安心を担保できないと不満を言うだけでよいのか。災害というクライシスに対して、安全を保障せよと要求するだけで良いのか。
安心安全、ゴミと防災だけのコミュニティ活動ではもったいない。
 日常の快適性、多様な課題を相互に支えあって解決し、構築しつつ、そのプロセスを楽しむようなしなやかな支えあいの連続性、持続性、そのシェアマネージメントこそ重要ではないか。
 高齢リーダーは、地価が上がったらとか若い人が住んでくれたらと、評論・嘆く暇があったら、身近な地域のために手を動かせ。行政評論をして満足している暇があったら、人様の目に付かないところで地域の役に立ち、一隅を照らせ!リーダーが、高齢化を嘆き、行政を非難するだけで、何の動きもしないなら、そんな地域は捨て置いたほうが良い。
 もし住民が自ら動くなら、その日常を支える、セニアカーポート、その安寧暮らしのアクセントとしての外出を支援するデパートでの電車バス料金割引、買い物バスなども重要な支援メニューである。
 持続的安心、日常の安心・快適、高齢化社会を自立的に保証する安寧長久のまちづくりが求められている。交通はその手段、支援ツールのひとつであって、それで全てが解決されるわけではない。

|

2010年11月 9日 (火)

褒貶毀誉は世評に委す

Saitotakao 昔、大阪外大が、独立行政法人で経営が苦しくなった時、開発環境講座など不必要、語学だけで良いと言われて、研究費没収など、苛められた。その時、私は大学を辞めて異なる人生を歩もうとお遍路に出たのだ。当時は、博士審査を御願いしていた宮田登先生が逝去され、苦しかった。そのとき頼まれたのがくるくるバスのコーディネート。無償で、一生懸命、地域の未来を住民と共に考えた。当時、座右にしたのが、軍縮演説をして衆議院除名となった斎藤隆夫の「褒貶毀誉は世評に委す」であった。憲政会館で軸を見て感動したことがあった。
 その後、大阪外大は経営破綻?で大阪大学に吸収合併され、私は大学院共通科目と社学連携を提供するCSCDに転出、現在はお遍路を授業にしている。
 その斎藤隆夫先生の資料に、ご出身地出石で拝謁した。感慨深いものがあった。

|

2010年11月 8日 (月)

出石と永楽座

再興した永楽座で歌舞伎を見た。物凄い臨場感だった。幕間の弁当も楽しい。ススキ河原から見る町は美しい。自転車で案内していただいた。EirakuzaImg_0108  Eirakuza1Susuki

|

玄武洞の玄さんとナマ玄さん

Gensanjinja Gensankinenn Gensankaburi 上が玄さん神社、次がハッピを添えた記念写真ボード。ここまでは良くあるが、次が凄い記念写真。右から、玄さんのモデル観光課長、ひょうごツーリズム協会Yさん、つれあい、私(玄さん)、コンチェルト社長。かぶりものまで地元が作ったのである。さらに、下が地元の方の手作り玄さん。表情が全部違う。まだ非売品。単なる観光地が、ジオパークを機会に地域の誇りになってきた。Gensanningyou

|

2010年11月 7日 (日)

歩く街城崎、玄さん、コウノトリ、城下町サイクリング

城崎温泉に泊まった。川沿い柳並木と玄武岩石積を歩き、胃腸に良いようでつれあいが呑湯した。翌日、玄武洞キャラ玄さんのモデルである観光課長のご案内で世界ジオパークの中心、玄武洞を見学。過去にも来たが記憶がない。地学的な説明ではなく、その美しさ、地球創造物の不思議さを課長から伺って、感動した。地元の方も玄さんキャラを活かしている。
地元の方が農地や湿原を保全し、コウノトリが育つ有機米が売れると、地元がだんだん自信をもってくる。地場産品の鞄の自動販売機もあった。畑でも保護餌場でもコウノトリが見られた。(写真は放鳥後の慣らしの餌場〈と餌を狙う鷺〉と近自然工法の水路、左奥にコウノトリがいる)Kontori Koounotorikkawa
 その後、出石で復活した永楽座で歌舞伎を見た。生の舞台を地元が一生懸命支えている。その後、観光ガイドの案内で自転車で城跡、沢庵寺やススキ原を廻った。
 豊岡は、広域合併して、城崎、玄武洞、コウノトリ、出石とが連携し、とても楽しい観光地になっていた。地元住民が、そのことに誇りを持ち出し、楽しそうに観光に関わっているのが興味深い。
 湯が良かったのか、つれあいに少し食欲が出てきたようである。
元気な町に出かけて、元気にしてもらう。豊岡城崎出石は、そんな町である。

|

2010年11月 4日 (木)

不可解なバス停・路線図【善通寺市】

Img_0022 どこに行くのか、わかる人にしかわからんバス。ゼミで交通工学の学生が言う。バスってやっかいな乗り物。どこ行くかわからんし、来るかどうかもわからん、うっかり乗ったら高い。運転手から偉そうに命令される。

|

【交通まちコミ授業】神戸まちチャリ体験

受講生10名(院生8名)と、神戸まちチャリに参加した。Img_0074

予算の関係上、6ポートで電動30台普通20台しかない。予約は受け付けないというので、5名を三宮、6名を北野に向わせ、新神戸ポートで合流。北野ポートは異人館(右)の横の綺麗なローソン。植栽のある景観配慮コンビニで、旗も前面に立てられないが、テラスの美しい場所である。電動自転車と聞いて、通りがかりの人が利用したり、地元の紳士が、元町の大丸で買い物をするのに利用していた。
 旧移民収容所や金星台まで自転車で登る。元町プラザホテルを経由して、ポートタワーの下で、北野ブーランジェのベリーデニッシュを食べる。ハーバーランドポートを経由して、川崎造船所、兵庫津を見学した。1時間無料だが、1時間で兵庫を廻るのは難しかったが、高田屋嘉兵衛の屋敷跡を見学。ハーバーに戻って、メリケンパークから神戸海軍操練場、税神戸関を経て、三宮ポートで解散した。1時間無料を6回乗り継いだ。
 神戸を山から海まで、近代から近世兵庫まで、自転車の機動力で、一気に神戸を楽しめたという。
 なるほど!学生の感想を聞いていて気づいた。
山あり海あり、海山の織り成す歴史、見るべき魅力がある町では観光サイクルは成功する。山際の住宅地、坂下の繁華街の町では電動自転車は成功する。神戸は、どちらも兼ね備えている。神戸まちチャリは最初から成功するべくして成功する。
 ただ、雑踏と自転車の交錯問題がある。路側を使った、自転車道を指定する必要があるかもしれない。
 楽しい。皆様も試してみてはいかがか?11月28日まで

|

2010年11月 2日 (火)

夏遍路で会った人々

9月28日「本当にお大師様に会う話」は印象的な話。それ以外にも、夏の通し遍路では楽しい出会いや問わず語りの記憶が残っている。

■60番横峰の手前、三芳町では夕方開いている食堂を見つけることができず、スパー入口の椅子で賞味期限間際の半額の弁当を食べていた。哀れに思ったお婆さんが1000円札をお接待。遠慮したが聞き入れられず。新居浜で守護霊の立つ場所を発見し、地元の兵庫守を信仰しているとか。貴方も困ったら行きなさいと「よく見てくれる先生」の電話番号を教えられた。Img_0263
■64番前神寺を出て新居浜の善根宿を朝4時に出て旧道を歩き続けたが、7時を過ぎても朝食を食べれる店がない。トマトを洗っていたおばあさんにトマトをわけてもらった。毎朝、採れた野菜を近所に配っているという。
■さらに歩いて国道の関川峠を登っていると、近づく小型車がある。「こんな所で停まったら危ない。お接待は無用」と言おうとしたら、「アルツハイマーの主人が家出した。この先の親類の家に向かっているかもしれない。見つけたら電話して欲しい。このお尋ねチラシを、どこかの駅かコンビニに掲示するよう頼む」と言われ、土居駅に掲示した。結局、朝食はとれなかった。
■88番札所手前、前山(香川県さぬき市)から女体山越は何度も岩を登り、厳しかった。一人歩きの中年女性から「何かが山中でついてくる。歩き出すと音がする。怖いので一緒に歩いてくれ」といわれる。その昔、山里を荒らす猿を退治して村人の難儀を救っ た猟師の太郎兵衛の伝説を紹介。送り猿だと伝えた。
■88番から阿讃山脈を越えて10番切幡寺に向かうが到着できず野宿する。川でシャツの汗を流し、東屋で干して寝ていると、「わしゃ農民じゃ」という人と会話。「(私が講演に行く)窪川は養豚で有名、わしも昔は畜産をしたが、結局息子は勤め人となった。農水省の補助事業は、どれも持続経営にならなかった。畜産排泄物を使うバイオマスの大きな施設も、役立たず遊んでいる」という。孫を使いにして「お接待じゃ」とパンをもらう。本日の夕食、翌朝の朝食となる。自動販売機のジュースでしのぐ。
■3番金泉寺の奥様と納経所で御子娘の進路で議論。保育専攻で大阪教育大学に行くという。鳴門教育にせず、一旦外に出すのは良い。しかし、大阪大学大学院で勉強して、故郷の保育施策の中心になってもらっては?と話したが…。
■1番霊山寺本堂横の納経所では通しの歩きとわかると、特別に歓待してくれた。休憩後、板東駅手前で、クルマが追いかけてきて、ポカリスウェットをくれ、お遍路さんと記念写真を撮ろうという。あまりの暑さと疲労で、杖を投げ捨て座り込んで、記念写真。昨年、家族で遍路に出かけたという。
■大阪の高校校長が亡くなり、婦人が供養のため遍路に来て景色が気に入り、徳島県鴨島の11番藤井寺札所近くに住んでいる。軽乗用車で楽しく暮らしきたが、先日大きな事故をおこしたのに、怪我がなかった。以後、遍路道の掃除をしているという。
■12番焼山寺を降りた小学校廃校近くに、すだちの館がある。夫は、阿南の木材買い付け業者で、妻は21番札所太竜寺下の遍路民宿の娘。夫の知人の導きで善根宿をはじめる。旧教員住宅を利用して安く宿を提供し、記念写真を撮るのを楽しみにしている。場所がら、野宿する人もいるが、女性は危ないので、無料でも泊めてしまうこともあるようだ。File0002
■19番立江寺近くの鮒の里は、民宿と善根宿とを併設している。実家は旧ルートにある遍路宿であり、長じて大工として成功し、自前で宿を建てた。
■23番から24番の間、太平洋に面した高知の東端に仏海庵がある。昔、淀が磯で遭難する遍路を助け供養した木食上人が入定した宝篋印塔が祀られている。近年まで僧尼が住んでおり、若い遍路が一夜の世話になっていた。当時の面影を残したまま、地元の方が美しく整備している。
■室戸市吉良川の町並みは、木材流通で栄え、まちなみ保存がすすめられている。そのなかに昭和初期の様式を残した理容店がある。映画「私は貝になりたい」で、極東軍事裁判C級戦犯で死刑に処せられた元理容師の店のモデルになった店である。実際は足摺岬ともいうが、当事者と村内部には複雑な思いがあり、訪問者は歓迎されなかった。いろいろわかったことがあるが、書けない。
■高知の土建会社が墓地造成時、寺を建設したが、事業中止。その施設の一部をレストラン、作業員宿舎を民宿にして、整体師が管理経営している。遍路が安く泊まっているが、歩きで痛いところがあるのは、身体部位に対する感謝が足らんと説教する。レストラン等の従事は、整体の客である高齢者を必要に応じて雇っている。
■浦戸湾フェリーは40分ごとである。遅れそうになる遍路をみつけると、地元のクルマが「お遍路さん、急いで」と言って、乗り場に先回りして船を止めてくれていた。
■国民宿舎土佐の経営を引き受けたのは、遍路道に住んでいた元空港ビル職員。社会人類学に関心があり、お遍路さんドミトリーを運営している。善根宿も手作りしている。また高齢者の滞在型住居も建設中である。
■若い遍路がビニールハウスの横でスイカを接待されていた。中年は職業遍路かもしれず、しつこく接待を強要されては怖いので、接待がない。若い遍路にはアブがたかるが、私にはコバエがたかる。俺は生ごみか?
 そういえば、善根宿すだち館のケンチャン(犬)が私についてきて4km先の寄居集落まで来てしまって困り引取りに来てもらうよう電話をかけた。ところが、オフのゴミ収集作業員が近づくと、ついていく。必死で押しとどめ、停留所にあった自転車チューブでくくりつけ、飼い主の到着を待った。
■今年は暑く、四万十市真念庵近くの遍路道(足摺岬からの戻り)で、死亡した遍路がいた。その先、高知県三原村では、ふらふら歩いている青年がいたので某農家が保護し、一泊させた。所持金は1000円しかなかった。TVで、「四国に行ったら金がなくとも誰かが接待してくれる」と某漫才師が言っていたので、悩み事があったので来たと言う。休養させ帰りのお金を持たせて返した。この農家は、どぶろく特区で収益があったが、農業だけでは苦しく、息子に継がすことができないという。昼食を食べていなかったので、農家レストランののぼりを見て入ったが非営業中だった。が、自家消費のカレーをよばれた。お礼にどぶろく購入。
■四万十川の支流、10km奥に民泊し歩いて国道に出ようとすると歩いている人がいる。40歳代の女性。大変ですねと言うと、昔に比べれば歩きやすいという。また、高知県宿毛から峠道を越えて愛媛県の南端、一本松のバス停でも、里帰りした女性が言う。「昔は東京から松山が3時間、松山から宇和島までが3時間、宇和島から一本松までが3時間だった。ハワイに行くほうが近いと笑っていた。それに比べれば、道も良くなって楽なもの」と言う。
■ハワイで格闘技同情を経営している日系青年と、十五夜橋別格札所通夜堂で会う。全身刺青、大和魂と書いてある。別格や奥ノ院も全部歩いて廻っているという。もっとも、岩屋寺で、彼がバスから降りてきて挨拶したのには驚いた。「バスも乗るんや!」
■大瀬(内子町)はかつでは筏流で栄えた集落だが、その町並みを地元の設計事務所が保全しようとしている。大江健三郎の故郷だ。内子や卯之町の町並み保全へ、ここの技術が進出している。
■道後を6時に出て、早朝開店スーパーの前を通り過ぎると「お遍路さん」と呼び止められ朝っぱらからジュースをお接待。それに気をよくしていると、別のお婆さんが私の進路のまん前に立ちふさがり「おえろうございます」という。「夏はエライ(つらい)ですワ」と笑いながら答えていたが、実はお婆さんに拝まれてしまった。夏に歩くとは立派なこと、拝みたいほどエライと言われたのか?
■松山北部の三津浜に大山寺がある。一の門の内に門前町があり仁王門がある。その内側山門までの山中に5軒の接待宿があった。その一軒では赤い番傘をさして茶店をしている。昔、遍路が疲れて、杖を投げ捨てたので注意したところ曲がり竹になったといわれ、現生している。別の遍路宿では、こんにゃく田楽が名物で、子規の句にある。最近、伊予鉄三津浜駅から町内を廻り大山寺の仁王門まで来る100円バスが走るようになった。高齢化のため遠のいていた地元のお参りが、このバスで復活しつつあるという。

|

2010年11月 1日 (月)

エンジニアの常識は社会政策の常識にあらず

民生部門のCO2削減について、エンジニアと議論していて、はたと気づいた。
 エンジニアは、正確に判定しようと考え、冷蔵庫は何台だとか、細かく聞き、専門家(環境コンシェルジュ)が正確にCO2量を測り、あなたはこの部分を削減せよと判定してあげようとする。しかし、うっとおしいオッサン(専門用語を噛み砕いて説明できないエンジニアなら、憂鬱)が、個人の暮らしの中身について、家に上がりこんで指導されてはたまらん。無料でもお断りと、同居女性(配偶者)から厳しく指摘された。
 それで、職場で個人個人に身体検査のように判定しようと考えているようだが、大きく広がらない。今までサンプルが100程度であったのが、600になったところで・・・。
 しかも、事後のフォローはできない。個々にCO2計測の会員になって、事後はサイト上で電気代とガス代を入れれるだけで変化を計測できるというが、そんなこと、環境オタクじゃないと続かない。

もっと簡易に20項目くらいにして現状を測定し、次にCO2削減活動を選択チェックさせ宣言させるようなやり方を、サポーターをつけてやれば、誰でもできる。公民館の集会の折にでも少し紙に書いてもらえれば、直ちに測定の上、□%のCO2、エネルギー費用○円という測定値、ならびに削減目標をプリントアウトできる。翌年は、メールで問いかければ、オンライン上で△円削減できたわねと判定される。コレhttp://www.orsp.net/~ks5153yn/

でないと、1000人、10000人といったロットは参加できない。

ところが、これでは正確でない、数値の信頼度が無いとエンジニアはつぶやく。

しかし、200万世帯の自治体で、500や600を正確に判定して、どんな意味があるのか。そもそも環境の計測とは、いろんな仮定の上に成り立ち、100%正確なんてありようがない。
むしろ、20問程度、ある程度の信頼度で、事後フォローを確実に展開し、個々の追加性(CO2とエネルギー購入量)を個々が計測できるようにして、1000、10000というロットで、オトク市民を獲得すれば、仮に4万世帯の自治体であれば10%=4000世帯という目標値がみえてくる。こうして総CO2削減効果推定値を出すことが可能となる。

つまり、全世帯の0.01%は統計上は0である、0世帯に精確度98%の判定結果を掛けても0。正確度70%のデータを、全世帯の10%集めれば、ある程度の削減推測値を出すこともできる。
 社会政策上は後者をとるのであって、精度を取るのか、はたまた数をとるのか、といった二者択一の問題ではない。要は、エンジニア主導でオタクをチロチロ集めるのか、市民目線で、オトク希求市民を増やしていくのかの違い。社会政策としては後者である。

このあたり、エンジニアのなかには、何度説明しても、わかってもらえない人がいる。

|

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »