須藤護「木の文化の形成」
私の卒業論文は「農民のまつる山の神」である(後日、山でのことを忘れたかにまとめる)。
農民が山の神を祀るのはおかしい!何故かと考え、山の保水機能、春に水をわかせ、秋に保水することが、山の神の春去来、秋帰り伝承の基本、農民は山の神に水を見ていたと結論付けた。
しかし、この推論、農民からの一方的な視点だと本書を読んで気づいた。
本書は、1)木地村や樵村の技術・生活に留まらず、日本の木材利用を、2)木の持続的利用に関する配慮と、3)総合的な木材利用の仕組みから記述している。
1)2)は、春木切り、放牧と焼畑、山の口開けから杓子打ち、山の草刈、伐木してはいけない木などの伝承にあらわれている。結果としての農民が祀っている山の神祭祀に対する農民的理解だけではなく、東大寺田上杣荘であった地域で、何ゆえに山之口明け祭りが行われているかという問題意識も重要だったのではないか。須藤は「山の神祭に、山の持続利用に関する再認識と価値観の継承が伝えられている」という。
1)狩猟も専門的またぎがあったというよりは、焼畑を広げていけば、結果として狩猟文化が広がったというのが須藤の視点である(私には異論がある。狩猟専業職が焼畑をし、鉱山師が焼畑をしたというほうが、無理がないように思う)。
もう一点 3)関西の酒造業は吉野杉による樽造りがささえ、その空き樽が関東で醤油樽となったことを指摘している。九十九里などの干鰯がその下荷となり、河内木綿や菜種生産に加担したことを推測している。
このように本書は、個別木の文化のみならず、木をとおした日本の暮らし全体を記述しており、興味深い。
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