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2010年9月

2010年9月30日 (木)

ワークショップ集中講義

28-30日、神戸ワークショップ研究会メンバーの協力を得て、ワークショップの集中講義を、吹田学舎で行っている。法学、経済、社会学、医学、工学、基礎工学などの院生、学部生、それにコンサルやシステムエンジニアの社会人が集まった。ワークショップの基礎技法から、KJ法、ファリシテーション・グラフィクス、SWOT分析を学び、模擬実習をした。

皆、好んで学んでいるのだが、講義に下を向くことが多く、グループワークでは発言が消極的で、否定的な発言が多い理系の大学院生Aさんがいる。授業者としては気になるが、直接注意してはダメだと抑制し、どうしたものかと注目していると、周りの学生が話しかけ、彼の意見を聴きだそうとする。そのうち、グループ内での発表になると、活き活きしたAさんの顔が遠くから見えて安心した。

実験に忙しい大学院生が、わざわざ全日3日間を確保し、この授業に出ようとした。おそらく、コミュニケーション力をつけたい、グループでの戦略議論の技法を身につけたいという思いで、履修してくれたのであろう。ところが、議論の中身はAさんが通常している議論とはまったく異なる構造である。おまけに、問いかけがが多く、文系の学部生がどんどん発言し、議論が飛躍展開する。傾聴は極めて難しい。こうしたなかで、眠いわけではないが、下を向いていたのかもしれない。
 ところが、グループワークになると、相互の意見交換が求められる。仲間がAさんの意見を多方面から聴こうとするのである。他人の傾聴が苦手かもしれないAさんも、徐々に議論に参加していったのではないか。当初、否定から始まって自分の中だけで留まっていた発言は、皆とともに考え表現する方向になってきた。Aさんの楽しそうな顔を見て、理系の実験だけの生活の苦しさが何となくわかったし、そこを抜け出して多様な学生と議論するこの授業の意義が、私なりに納得でき、授業者として嬉しかった。
 彼は、今日、どんな顔をして来るだろうか。そう、人間、やすやすと変わるものではないが、彼に少しでも楽しい時間、思いがあったら良いなあと思って、これから出勤する。

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2010年9月28日 (火)

本当にお大師様に会う?話

四国遍路には、病気が奇跡的に治ったという話が多い。22番札所平等寺(徳島県阿南市)本堂には、3つの箱車が納められ信仰の対象になっている。その説明板によれば、明治時代、土佐など各地の足の病の者が箱車に乗って、または沿線の村人に引いてもらい担いでもらい廻ったところ、平等寺で完治し、そのお礼に箱車を奉納したという。
 一方、第27番札所神峯寺(高知県安田町)は豊かな水が湧き、その水を飲んで脊髄カリエスが不思議に治ったといい、そのお礼の石碑が立っている。さらに、最近、末期ガンの人がお参りに来たところ、その階段の下で僧形の人が現れ水を飲ませてくれた。するとガンが治った。あれはお大師様に違いないという人が居ると納札所で聞いた。

 お大師様が現れた話としては、善通寺宿坊で次のような話をもれ聞いた。甑島から金毘羅に来た。電車に乗っていると「降りろ」の声がする。善通寺駅から歩くと、川にはまって溺れそうになった。その時、助けてくれた人がいた。後姿が僧形で、あれはお大師様に違いない。お礼を言おうと善通寺に来た。ところが17時を過ぎて大師堂が閉まっていたので宿坊に来たと、濡れ鼠で寺務員に語っていた。私も宿坊玄関を後で確かめてみると、滴が垂れていた。寺務員に尋ねると、こういう話を持ってこられる人は珍しくないという。

 このような話を考慮すると、第72番札所曼荼羅寺の脇で乾燥うどん販売をしている女性が、仕事も何とかなってるし、会った歩き遍路は皆、お大師様と思いうどんを接待しているのも理解できる。接待は、遍路の中にはたかってくる人もいるので止める人もいるが、私は商売と思われて避けられると嫌だから積極的に呼び込まず、入ってきた歩き遍路さんに接待している。私に対して、荷物を置いて、弘法大師が修行した捨身ヶ嶽に登ってきなさいとすすめる。真夏なので躊躇していると、凍ったペットボトルを渡され、私はそれに魅かれて急斜面の山を真夏に登った。すると、美しい景観が見て取れ、中腹には真夏なのに極冷の柳の泉があった。夢のような経験をさせていただいた。

 私は信仰心が低いので弘法大師を見ることはできないが、他人のなかにお大師様を見ることはあった。
 実は、今回、40日1000km通し遍路において通夜堂や善根宿・接待宿を経験したいので調べると、だいたいの位置は確認できても住所・電話がわからないことが多かった。そこで当てずっぽうで手紙を書いたところ、各地から電話、返信ハガキをいただいた。そのなかに、松山・今治間の浅海大師堂から「浜田のおばちゃん」という人からハガキをいただいた。今回、8月29日に高知県四万十町で調査と講演をすることもあり、今治出発、ゴールとしたので、浅海大師堂は最後の宿かと考えていた。

 ところが、40日歩いて、残りわずか、松山の道後温泉でゆっくりすると、通夜堂や善根宿が苦しくなってきた。畳がなく板敷きかもしれないし、布団はないかもしれない(事実、座布団を重ねて寝た)、扇風機はないかもしれない、百足が出るかもしれない、もう充分、通夜堂は体験したではないか。普通の民宿、せめてユースホステルにしてはどうか・・・と、北条YHに電話したら営業していないという。
 そういうこともあるかと気を取り直して、駅のベンチに座って、菅さんが泊まったというペンションの電話番号を調べと思い、駅舎に入ると、ホームの車掌から「下り電車、乗るんですか」と大声で聞かれ、思わず「乗ります」と答えて、小走りに乗り込んでしまった。

 夕暮れの知らない駅に降り立ち、無償の宿を乞うのは、乞食家業の慣れない、覚悟のない者には不安である。とぼとぼと「浜田のおばちゃん」の家を探し出した。そして、呼びベルを押した。すると、大師堂を守るお婆さんではなく、水道・ポンプの仕事に忙しい40歳台とみうけられる働きざかりの女性が出てこられた。手にした「納め札(氏名、年齢、住所の記入)」をお示しして通夜堂を乞うと、「よくご無事で」と声をかけていただいた。

 彼女は、見ず知らずの私のハガキを覚えているだけでなく、猛暑の中を廻る私をずっと気遣ってくれていたのだ。それに比べて私は、自分の都合で他に泊まろうとしていたのである。たまたま北条YHが臨時休業で、たまたま列車が出るところで、この大師堂に来てしまった。私は彼女の配慮に感激しつつ、それを裏切って楽をしようとした悔いを感じつつ、何度も何度も感謝を述べた。

 小奇麗な畳敷きの大師堂に入り、いつも以上に丁寧に経をあげた。40日1000kmの最後の夜、偶然に偶然が重なって得られた出会い、他人の配慮・思いに触れ、感謝の気持ちで感極まっっていた。出会う人にお大師様を思う、お大師様に出会ったというのは、こういうことなのかもしれないと思いつつ眠った。

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2010年9月27日 (月)

お遍路さんの種類と数、職業(門付け)遍路

お遍路さんの数は、通しの人もあれば2~3日区切りの人もあり、クルマでたまたま立ち寄ったのかクルマ遍路なのかは判別困難。が、ゴールの88番札所の直前にあお遍路交流資料館での無料結願証明書発行数や、21番太龍寺のロープウェ乗客数で推測する。
 職業遍路が必ず泊るという善根宿を経営する方によれば、全遍路は20万人(うちクルマ2万人、アルキは6000-4000〈イベント含め〉〈うち全札所制覇は2000人:このうち通しは800〉、他に職業遍路100人)。つまり、8割以上が観光バスなどのツアーである。先達が乗り込み誘導し、参拝読経している間に2名の添乗員が参加者の朱印帳、掛け軸、納札印用のおいずる(白ユニフォーム)を持参して納札所に走る。タクシー、ジャンボタクシー、レンタカーによるツアーもある。アルキは極少数派である。最近、外国人、若者、段階の世代に通しの歩き遍路が増えている。
 アルキは退職を期にウォーキングという人も多いが、リストラされたり、人間関係に悩んだり、うつ、自閉での失踪、ときに自責から逃れたい犯罪者なども混じる。自転車愛好から入る人もある。
 これに対して、遍路を人生のすべてとして何度もまわる人を職業遍路、職遍と呼ぶ。自称門付け(遍路)。職遍には、作務衣や袈裟を着た僧形の者と、ジーパンにおいずるのようなスタイルとがある。
 前者の例としては、寺に捨てられ育てられたが、あるとき実子でないと追い出され四国を回る職遍がいる。通常50日だが、各地に居ついて120日くらいで永遠にまわる。
 後者の例としては、54歳のとき自転車から始め、現実世界に戻れず58回った人に会った。その話しによれば、門付けは老人の年金上前はねと自嘲する。
「廻ると浄化されるというが、門付けして廻れば廻るほど問題を起こす」「遍路地獄。抜け出せない」という。
 Cはスポンサーがいたが家賃と電気代をカラオケに使ったらしく、支援を切られてトラブル。バイトをやってるB遍路は健全。行者のようなことをして経を上げるのも居る。お供えを全部持っていくDなどは可愛いもの。若者遍路から金を巻き上げる門付けもいる。各地で「布施するもんだ」と説教しまくる職遍もいる。
少し親切な接待婆だと、門付けどおしで情報が流れ、皆が次々たかりに行く。複数の門付けが、特定のお婆さんの家で鉢合わせすることもある。美容室専門遍路もある。その言だと「あそこでは断られない。パーマをあてているお客次々からお接待を受けられる」という。そういう俺も、前に親切にしてくれたお婆さんが留守だと時間をつぶしてまたいく。情けない」という。
 某遍路小屋に居つき、善根宿の受付をする30歳の青年は、絵描きだという。キセルタバコを愛用し、会話は挨拶がなく直接会話。元職遍で職遍を見下している。
 「そろそろ、コンビニの賞味期限切れの弁当を貰って来るか。こんなときおいづるをつけて(遍路の姿で)行く。普通、遍路姿でコンビニ入ると、万引きを警戒される。
 職遍の最後は、行き倒れか、万引き逮捕、ときに昔の殺人がばれて捕まるとか。F大師堂では、職業遍路が村の大師堂に長期間居付き、御願いしても「堂は遍路に貸すもの」と応ぜず、酒の賞味切れを求めたことで、通夜堂が廃止された。 

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2010年9月24日 (金)

お遍路の宿の種類

旅の最大の課題、宿を決めるのは気が重いが、反面、楽しい発見、出あいもある。
 日本中を歩いた男・宮本常一は、有料や高い宿には泊まっていない。民俗学の在地研究者などを連鎖的に紹介されて泊めてもらうのはありがたいが、ちょっとした拍子に途切れる事がある。こんなときは、宿を乞うのが気が重いという。日本には、文武宿といい、文武の才能があるものが情報や技術を伝えれば、誰でも泊めてくれる宿があった。幕末の志士が東西を横行したのも文武宿があったから可能だった。備中高梁の油屋には越後長岡の河井継之介が泊っていた。この油屋こそ、寅さんシリーズに二度登場し、山田監督らが定宿にしていた文武宿。日本にはこういう無償の宿や、寅さんが泊まるような商人宿、駅前旅館があったが、今は少ない。無償宿は遍路宿にのみ残っていると私は推測している。

遍路宿には【今回宿泊数】、
1)通常の旅館・民宿(一般営業)・・・10
2-1)宿坊             ・・・ 6
2-2)大師像や掛軸を祀る旅館、民宿・・・2
3)割引など接待行為のある民宿・旅館・・・6
4)最低限の有償の善根宿・・・2
5-1)まったく無償の善根宿・・・4
5-2)通夜堂         ・・・4
6) 野宿           ・・・1
 がある。
 この分類と接待・善根度は必ずしも一致しないし、接待・善根度、信仰が高ければ宿泊料が安いというわけではない。1)一般営業でも、大都市のビジネスホテルで朝うどん朝食・珈琲付で3800円~素泊6800円の須崎プリンスホテルまで、いろいろある安宿に泊まった。最近は、個室のホテルが好まれ、2-1)宿坊も経営が難しい。二食付きで6800円で簡素な料理の宿坊もあれば、第六番札所安楽寺宿坊のように6500円でホテル並みの料金、二食付温泉で5500円と言う善通寺宿坊まである。通常の遍路道や札所の門前にある遍路宿(旅館、民宿)には、大師像や仏像が祀ってある宿もあれば、お遍路さんのために朝食は二つ黄身の入ったものを出したり、到着するなりドリンク剤を渡す宿、夕食時、明日のコースを自作の地図を使って絵物語のように語る宿もある。3)善根宿も、無償だと継続困難なので、3000円で二食付(旧教員宿舎、夕食はカレーなど通常食)から、母屋を善根で貸せば素泊1000円、掘立小屋なら500円という宿から、5-1)まったく無償の善根宿(納屋などに板、ゴザ、畳、ふとんを敷く)まである。空地に古いバスを置き、夕食・お茶まで運び入れる無償の善根宿もある。5-2)通夜堂のなかにも、八十八箇所札所内の通夜堂もあれば、村の大師堂を解放してくれたところもある。
 ただ、無償善根宿には半ば乞食の状態、浮浪者区別できない職業遍路(職遍)が長期間居付き村の酒屋に賞味期限切れの酒を要求したり、仲間を集めて酒盛りしたり、生臭い異臭を発する、部屋内部で自炊火気使用をする者、洗濯物を干して畳を滴で汚す者もいる。それがトラブルになり、閉鎖された善根宿は多い。空調はなく、扇風機がないという地獄もあった。5-2)通夜堂も同様である。
 そのため、無償の善根宿、通夜堂では、名前・住所・年齢を書いた納め札(弘法大師の絵を描いた細長い紙)を提出し、管理者の面接を受ける。女性専用の部屋がある宿もある。有償なのに、女性の野宿を見つけると無償食事付で泊めてしまう宿もある。なかには、掃除、草取りなどを課するところもある。私も生まれて初めて他人の家の庭の草取り・水撒きをした。職業遍路のなかには、僧は労働をしないと拒否する者もあり、若者が泊まる傾向の宿もあれば、認知症の一人暮らしの未亡人の善根宿に次から次へと職業遍路が集まり複数日居つくディープな宿もある。公園や道路わきの東屋、バス停小屋にも職業遍路が居つくことが多く、問題になっている。
 概して、四国の人は若者の遍路には優しいが、職業遍路、およびそれに風体が似たおっさん遍路とは関わらない。職業遍路の実態については次回。
接待・善根度と素泊経費

 

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2010年9月22日 (水)

歩き遍路四国88ヶ所は、俗に1600km(奥の院、別格を含む)。88の札所本霊場のみだと1000km、55日くらい。若者のなかには潜水めがねをぶら下げ、地元の若者と呑み明かしつつ、30日で回ると言う剛の者もいる。
 古道が全てつながっているわけではなく、トラックが横行する歩道もない国道脇、バイパスの歩道もあれば、小さな街角を斜めに抜ける旧道もあれば、山中の石畳の古道・竹藪と畑の間の畦道、岩肌が立つ山伏修行の道もある。
 五重塔や伽藍を構える善通寺(弘法大師誕生地)のような寺もあれば、小さなお堂の札所もある。萱葺の鐘堂もあればコンクリートの本堂もある。断崖に張り付けたような本堂もあれば、街中の寺もある。
 そこを、菅笠、杖、「南無大師遍照金剛」と書いたおいづる(白いユニフォーム)に輪袈裟を首にかけ、幼稚園バックのような布鞄(線香、経、納経帳、納札の紙などを入れる)を持つ。荷物を入れたリュックを背負えば、立派なお遍路さん。
 通しで廻っても良いし、阿波、土佐、伊予、讃岐と国ごとに区切り打ちも良い。土日ごとに、区切って廻るのもOK。歩いて廻っても、自動車でも、ツアーでもOK、なかには自転車で廻る人もいる。
 私の場合は、あまり面白くない国道や危険なトンネルの路側を歩くよりも、歩くことを支援する公共交通を利用することもあった。気になる庵や美しい集落を見ればバスを降りて歩きはじめる。トンネルよりも峠の集落を通り、真夏の昼を歩くよりは、朝4時に出発して日差しの低い間に15kmを歩いた。
 無理をしない。こだわらないというのが、お大師さんの教えである。自由なファッション、臨機応変の方法で歩く。私は菅笠をやめ、大きく日差しを避けるジャンプ傘を持ち歩いた。50km/日もあれば、おばあちゃんと話し込み15kmしか歩かない日もある。こうして、40日750kmを徒歩で歩いた。
 宿坊や、接待で弁当を持たせたり到着したとたんドリンク剤を接待したり独自の道案内をする接待的な宿、住民が無償で納屋などに寝床を提供する善根宿、村の大師堂などに泊まる通夜堂、それに野宿で廻った。道後温泉にも接待宿がある。宿を予約したり夕方に宿やネグラを探すのは心細い。気が重い。
 ほとんどのところにコンビニがあり、某チェーンでは、歩き遍路にはお茶ペットボトルが接待される。食事は、どうしてもコンビニおにぎりに偏る傾向にあるので、海辺では極力地産魚料理を食べた。土佐清水の鯖丼は美味。ただ、水には飢えた。廻った札所の数よりも販売機で買った冷えたアクエリアスの数の方が多かった。己が餓鬼であることを自覚した。

夏遍路 水に飢え、宿を乞い、人に会う

夏遍路 汗を道後の湯で流せ
 

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2010年9月21日 (火)

31-36番お遍路授業

18-20日、授業としてお遍路に行く。「日本三大がっかり※」のはりまや橋に集合、路面電車で文殊通へ。文字どおり、文殊菩薩を祀った竹林寺へ学生を先頭に登る。
 武知半平太旧宅が観光地になっており驚く。その前の梨選果販売所で熟れすぎを5つ買ったところ、お接待だと冷えたのを2つ「そいで(むいて:高知弁)」もらった。5人で7つ、たっぷり梨をよばれた。
 翌19日、浦戸湾をフェリーで渡り、30km歩く。還暦記念と称して山頭火のような風貌でひょうひょうと野宿する尺八遍路、ひょうたん状のアフリカ楽器を持って野宿で歩く中年アーティスト遍路に出会う。学生が歩いていると、ビニールハウスのなかで離婚して故郷に戻った農業青年が語りかけ、すっと学生の悩みを聞きだす。破綻した国民宿舎を再建したやり手の支配人は子どものときから体験していたお接待の気持ちで、ギリシャのサントリア‐ニ様のホテルから、ドミトリーの遍路宿までをそろえ、自ら長期の外国旅行に出かけ、好きなようにホテル経営をやっていたらお客様満足度№1の宿舎になってしまったという。階段もギリシャ風に自分で鑿をうち、自分で穴を掘ってギリシャ風の穴倉別荘を作ろうとしている。
 学生たちは、多様な人々に出会い、会うごとに「若いのに歩いているの、偉いね」と声をかけられる。

歩くから人に出会える。先を急がず、ひとりひとりに向き合うことで、豊かなコミュニケーションが生まれている。

※日本三大がっかり=札幌時計台、はりまや橋、守礼門(または長崎オランダ

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