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2010年6月24日 (木)

もうアカン町はどなしたらエーんか!延藤安弘幻燈会での詔

人間国宝延藤安弘先生におかれては、過日、豊中市に行幸あそばされ、古典芸能「幻燈会、みんなで育むまちづくり」の詔を拝聴
 「~やったらエーなあ」の発意⇒「探検。発見。ほっとけん」の調査⇒提案⇒共感⇒方針⇒手法⇒実現⇒評価
その上での総合計画=「公」の下「心」をより合わせ「糸」、言でまとめて(†)章立てをしてまとめる「画」(後半中務栗内記、邪推)

ところで、民より質問「もうアカンまちはどなしたらエーんですか?」
人間国宝、揺るぎもせず以下のように宣下したもう
▼とことん危機感を話し合ったか?夢を語り合ったか?
▼危機・地獄図への想像力にかけるのか、夢への想像力にかけるのか、お前はどっちにかけて生きるンや!
▼危機・地獄図への想像力で怖れ慄くなら、夜逃げすればよい(栗内記、付記)
▼未来を担う子どもの目線で、夢にかけてみーひんか

ここで、民俗学者宮本常一の言葉を思い出した。
宮本は、周防大島から大阪・東京に出稼ぎに行っているつもりで、郷里の畑を耕し、年に何度も帰っていた。それは子ども時代の楽しい行事、記憶が、宮本を固く郷里に結びつけているからである。
どんなところにも人間の意思がはたらき、それが現実のものとなっており、しかもその意思と意思には限界があり、限界が境を作っているのである

人々の限界を越え、子どもの目線で地域を見直してみれば、超絶限界集落の連なる高知の山村でも、それ故の夢があるのではなかろうか、子どもが皆無ではない。この子達の心に何かを残すことが、今、村を生きる我々の使命ではないか。
 人間国宝には及びもつかないが、この夏、そんなことを四万十や淡路、熊本で語り合ってきたいなあと、思い至った。

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