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2010年6月 9日 (水)

桜守と岡本

阪急岡本を学生と歩いた。
 駅の北西すぐに岡本南公園がある。東京帝大法学部卒、犬養毅秘書の後、ソメイヨシノ以外に多数ある桜種の保護・育成に自費で一生をささげ、桜の夙川公園などを指導した笹部新太郎の屋敷後を公園にした。岡本ファッションとまちなみのみに関心があるのかと思っていた学生が、桜守にとても感動していたのでそのお話を以下に書く。

 1960年には電源開発の総裁・高碕達之助から御母衣ダム(岐阜県)の建設にあたり、水没することになるというエドヒガン(推定樹齢450年、県指定天然記念物)の移植を依頼され、これを成功させた。桜の移植は極めて難しく、巨樹は不可能と言われたが、笹部は成功させ、日本の産業開発のために水没する村の人々の記憶を残し、「荘川桜」と名付けられた。同じ場所には、荘川桜の実生桜を若山芳枝(元ダム建設反対運動「死守会」書記長、のち「ふるさと友の会」会長)が育てた樹を1984年に移植した荘川桜二世もある。 活着確認時、住民はすがりついて泣いたといわれる。水上「桜守」のモデルである。
 1972年、国鉄バス名金急行線(名古屋~御母衣ダム~金沢間)の車掌・佐藤良二が沿線の荘川桜の話に感銘を受け、沿線に「太平洋と日本海を桜で繋ごう」と桜を植え続けた。この話は『さくら道』(中村儀朋・著/風媒社・刊)及びそれを映画化した『さくら』(1994年)のモデルとなり、国語の教科書にも載った。

なお、高碕達之助は、革命中国と日本との交流が途絶えたとき、隣国は仲良くすべしと、廖高碕民間貿易(LT貿易)として交流を継続させた人。

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