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2010年6月

2010年6月30日 (水)

■オレンジカフェ 7/1 在住外国人との語り合う(1)
在住外国人と語り合いカフェ(7/1, 7/15)
現在、箕面市では2,200人余りの外国籍市民が暮らしています。彼らの率直な思いをじかに聞いてみませんか。言葉や文化が異なる人同士が、互いを尊重し合うためには何が大切なのか、共に考え、語りあいましょう。
●在住外国人との語り合いカフェ(その1)  
第1回 7月1日(木) 午後7時~9時(午後6時30分から開場)
場 所 大阪大学豊中キャンパス 基礎工学部I棟1階「オレンジショップ」
参加費 無料
定 員 30名(子連れ参加OK)
共催  箕面市国際交流協会 
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp
申 込 (財)箕面市国際交流協会
    tel:072-727-6912 fax:072-727-6920 e-mail:
info@mafga.or.jp
    http://www.mafga.or.jp 
カフェマスター:森栗茂一(CSCD教員)

●在住外国人との語り合いカフェ(その2)  
第2回 7月15日(木) 午後7時~9時(午後6時30分から開場)
場 所 大阪大学豊中キャンパス 基礎工学部㈵棟1階「オレンジショップ」
参加費 無料
定 員 30名(子連れ参加OK)共催:箕面市国際交流協会 
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp
申 込 (財)箕面市国際交流協会
    tel:072-727-6912 fax:072-727-6920 e-mail:
info@mafga.or.jp
    http://www.mafga.or.jp 
カフェマスター:森栗茂一(CSCD教員)

■まちあるきカフェ「学生が語る京阪神まちの魅力」
日時 7月2日[金] 19:00-21:00
定員 30名(申し込み不要・当日先着順)

於 京阪なにわ橋駅B1 ラボカフェ
大学院共通科目で学生が、天神橋筋、三休橋筋、空堀、昭和町、西陣、芦屋岡本御影を歩いた。学生らの語り合いに、空堀の仕掛け人、建築家六波羅さんに木造家屋の魅力、まちの資源の活かし方などの方向から、コメントいただき、学生が書を捨てまちに出る意味を考える。
ゲスト 六波羅雅一(からほり倶楽部)
カフェマスター 森栗茂一(大阪大学CSCD教員)

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2010年6月29日 (火)

低炭素に関わる総合計画とは何か

マスタープランだから長期的な基盤方針ということだが、日本語の総合計画の本義は本質的に違う。general plannning ではない。
 表意である漢字構造どおり、「合」=人一(ひとびと)の「口」により、「総」=「公」の「心」を「糸」で撚(よ)り合わ、「計画」=章立てを画してまとめ上げたものである。

comprehensive whole=包括的な課題群をintegrate統合的に計画する ことである。

たとえば、

個別の温暖化防止行動ではなく、洞爺湖サミットを受けた低炭素社会づくりの総合計画では、CO2地下埋設、ゼロ・エミッション(原発、再利用可能エネルギーなど)、太陽光発電、ヒートポンプとともに、CO2取引、CO2見える化、省エネ住宅・省エネビル、エコカー、燃料電池低価格化 と、包括的に生活様式と技術を革新することが求められている。
 この場合、人々の地球と地域に関する「公の心」を撚り合わせ統合する協働のあり方が、もっとも問われている。
この点、市民にCO2削減を宣言させ、事後のフィードバックをする神戸市のもったいないやん宣言は、秀逸である。これを市民が、自ら計測するまでになれば、さらに、総合化は進むのではないだろうか。
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2010年6月26日 (土)

【交通まちコミ6月28日資料】

「温暖化とまちづくり(環境省)」 を読んできておいてください。議論します。
■人口集中地区(DID)の人口密度が低い地域ほど、自動車分担率が高く、一人当たりの旅客運輸部門の二酸化炭素排出量が多い
■沿道開発と一体となった道路整備が、住宅や商業施設などの立地を促し、都市機能を拡散させ、更なる自動車交通需要を誘発し、いわば「道路が道路を呼ぶ」状況
■都市機能の拡散は、環境負荷の増大だけでなく、中心市街地の疲弊、廃棄物収集、福祉サービス等の行政コストの増加に伴う財政収支の悪化、自家用車を運転できない人の移動手段の確保、自動車分担率の増加に伴う交通事故の増加等の他の諸問題を引き起こしている。
■誘発交通を十分考慮し、「渋滞解消のための道路整備」から「自動車交通需要の抑制」を図る。
■自動車利用者が負担すべき「環境損傷」「空間損傷」4などの社会的費用等を踏まえ、「歩行者・自転車、LRT、大規模緑地、風の道等」のための道路空間の整備、公共交通機関への支援、自転車利用の促進を図る。
■「環境とまちづくり」に関する情報の提供・普及啓発、専門的知見を持つ人材の育成・活用を図りながら、住民参加型のまちづくりを行っていく。

だから、この授業の議論は、専門家のコミュニケーション力向上、専門家市民として知識向上のみならず、これからのまちづくりに必要な人材育成の専門教育としても価値がある。専門教育として価値があるから、専門家教養科目としても有意味なのだ。ねっ!、社会的費用やマネージメントの思考が何で必要か、わかったやろ!

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2010年6月24日 (木)

もうアカン町はどなしたらエーんか!延藤安弘幻燈会での詔

人間国宝延藤安弘先生におかれては、過日、豊中市に行幸あそばされ、古典芸能「幻燈会、みんなで育むまちづくり」の詔を拝聴
 「~やったらエーなあ」の発意⇒「探検。発見。ほっとけん」の調査⇒提案⇒共感⇒方針⇒手法⇒実現⇒評価
その上での総合計画=「公」の下「心」をより合わせ「糸」、言でまとめて(†)章立てをしてまとめる「画」(後半中務栗内記、邪推)

ところで、民より質問「もうアカンまちはどなしたらエーんですか?」
人間国宝、揺るぎもせず以下のように宣下したもう
▼とことん危機感を話し合ったか?夢を語り合ったか?
▼危機・地獄図への想像力にかけるのか、夢への想像力にかけるのか、お前はどっちにかけて生きるンや!
▼危機・地獄図への想像力で怖れ慄くなら、夜逃げすればよい(栗内記、付記)
▼未来を担う子どもの目線で、夢にかけてみーひんか

ここで、民俗学者宮本常一の言葉を思い出した。
宮本は、周防大島から大阪・東京に出稼ぎに行っているつもりで、郷里の畑を耕し、年に何度も帰っていた。それは子ども時代の楽しい行事、記憶が、宮本を固く郷里に結びつけているからである。
どんなところにも人間の意思がはたらき、それが現実のものとなっており、しかもその意思と意思には限界があり、限界が境を作っているのである

人々の限界を越え、子どもの目線で地域を見直してみれば、超絶限界集落の連なる高知の山村でも、それ故の夢があるのではなかろうか、子どもが皆無ではない。この子達の心に何かを残すことが、今、村を生きる我々の使命ではないか。
 人間国宝には及びもつかないが、この夏、そんなことを四万十や淡路、熊本で語り合ってきたいなあと、思い至った。

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2010年6月23日 (水)

新技術はマーケティング、コミュニケーション力とのバランスマネジメントの積算により成り立つ

『新時代の『下水処理』をめざす!~現技術はもう古い!時代の要請に応えることはできない!』関西ピージーエス㈱ 代表取締役 鈴木實さん を聞いてきた。
 確かに、ばっ気槽→希釈汚泥槽に繊維質のレイのようなバイオファイバー(バイオトープ)を上から垂らしておけば、嫌気バクテリアが付着の内から、好気バクテリアが付着の外側から分解し、水と炭酸ガスに変え、廃棄汚泥と排水は発生しない。これを70度に温めれば容易にリンを抽出できるという。
 日本の上水の30%が下水処理に使われており、この設備を合併浄化槽や農業集落排水など50戸くらいごとに普及させれば、水自給率が上がる。
 ただし、活性汚泥処理法等の下水処理方の規制により、通常では確認申請が下りないが、特区地域では新設可能。既設設備の改修名目なら規制は弱い。
 私は、これを国の成長戦略を試す某定住特区ですすめようと考えるが、この会社、技術オンリーで、「では標準世帯で年間どのくらいの水が節約できるのか?」「CO2がどの程度節約できるのか?」「電気がどの程度節約できるのか?」説明できない。下水データーはブラックボックスだからわからないというのである。下水土木は馬鹿だから、技術独占をし、それを守るためにブラックだと言う。
 たとえ事実であっても、悪口、愚痴では、ビジネスもイノベーションもできない。技術だけでは事業にならない。技術10割でも、説明コミュニケーション力2割、マーケティング力4割では、積算1割以下の力にしかならない(1.0×0.2×0.4=0.08)、しかもバランス感覚がないから技術者として一流でもビジネスパートナーとしては、特区でも大学でも招き難い。
 この技術をどのように特区で生かすのか、その組み合わせと説得手順を、今、思案している。困ったなあ・・・

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2010年6月20日 (日)

■交通まちコミ授業予定
6月21日10:30 広島交通連携授業
6月28日10:30 温暖化防止とまちづくり(必要:自動車の社会的費用)
7月5日 10:30 メタボ・モビリティ・マネージメント
7月12日 10:30 公設民営と新しい公共(必要:ドラッガー)【昼食時間議論】
※21~5日のいずれかに、八木先生(CSCD)、土木コンサルプロをお迎えします。
12日には、八木先生のコメントをいただこうと思っています。
■参加推奨講演会
6月22日(火)18:30~第28回アイボリーフォーラム
 ホテルアイボリー3階 茜の間(阪急豊中北東すぐ) 
 『新時代の『下水処理』をめざす!~現技術はもう古い!時代の要請に応えることはできない!』
 講師:関西ピージーエス㈱ 代表取締役 鈴木實氏  
  松下電機産業(現・パナソニック)で、ブラウン管第1号制作グループの一員。その後、枚方市・高槻市で 政策を担当。阪神淡路大震災でトイレパニックに遭遇。これをきっかけに導管不要の「バイオマス・トイレ」(無臭・無排水・無汚泥)を開発。極めて簡単な原理・作用により、世界でオンリーワンの技術で安価な地域水洗化構想を実現化した事例が披露されます。申込ashida◎nifty.com    
②第55回とよなか・まちづくりフォーラム
【講師】NPO法人まちの縁側育み隊 代表理事 延藤 安弘さん
『みんなで育むまちづくり』18:30-20:30
  ホテルアイボリー (阪急豊中駅下車すぐ)TEL 06-6849-1111(代表)
   無料(要申込み) 手話通訳あり。 保育は1歳~小学3年生、1人200円、6/16(水)までに申込み。
【申込・問合】まちづくり支援課:TEL 06-6858-2198、市ホームページ(http://www.city.toyonaka.osaka.jp/)「まちづくり支援」からでもお申し込み可。
【内容】
 「まち育ての語り部」と呼ばれる延藤さんのまちづくりは、『幻(げん)燈会(とうかい)』から始まります。これまで延藤さんが関わってこられた全国各地のまちづくりに取組む人々と日常の風景が幻燈(スライド)に登場し、その人々の優しさと勇気がまちを変え、地域社会を変えていく様が、まるで物語りを聞いているかのように語られていきます。
 建築の大学で「生活空間計画学」を学ばれた延藤さんは、「もの」である「住宅」に、住む人の「住まい方」や「どんな生活をしたいか」「どういう環境で子どもを育てたいか」というような「気持ち」を反映させることを大切にされています。まちや環境はものづくりの技術者と住民の意識の相互作用の産物であるから、建築の世界でまちづくりをしていく上では、みんなの「気持ちづくり」をしたかったと話される延藤さん。
 人が元気であればこそ、まちが元気なのであって、まちの元気を育むには人が元気にならないといけない。つまり、人をより良く育み、まちも育まれるという思いを込めて「まち育て」に取組まれています。
 今回のフォーラムでは、暮らしを豊かにするには、まちが育っていくことが大切として、NPO法人「まちの縁側育み隊」を組織し、まちと暮らしを支援する多様な活動を展開されている延藤安弘さんをお迎えし、豊富な実例を交えた「まち育て物語」を伺います。
■在住外国人との語り合いカフェ(その1)  
第1回 7月 1日(木) 午後7時~9時(午後6時30分から開場)
第2回 7月15日(木) 午後7時~9時(午後6時30分から開場)
場 所 大阪大学豊中キャンパス 基礎工学部Ⅰ棟1階「オレンジショップ」
現在、箕面市では2,200人余りの外国籍市民が暮らしています。
彼らの率直な思いをじかに聞いてみませんか。
言葉や文化が異なる人同士が、互いを尊重し合うためには何が大切なのか、共に考え、語りあいましょう。参加費 無料、一般参加可
定 員 30名(子連れ参加OK)共済予定:箕面市国際交流協会 http://www.cscd.osaka-u.ac.jp
申 込 (財)箕面市国際交流協会
tel:072-727-6912 fax:072-727-6920 e-mail:info@mafga.or.jp 
カフェマスター:森栗茂一(CSCD教員)



  

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2010年6月17日 (木)

温暖化防止市民ワークショップの原案

某市の温暖化防止の市民行動についてワークショップの依頼を受けた。以下はその原案。

顧客…市民
目標…地域愛着に基づく、実行可能な温暖化防止活動のかっこいい展開を模索する
手法…温暖化防止計画における実行可能な行動について考える=美辞麗句、マナー論は不要
班組み・・・シャッフルで6人×5組
役割……コーディネーター(森栗)、ファシリテーター(プロジェクト大学院生2名)
すすめ方・・・
①行政の温暖化実行計画の説明              〈15分〉
【2】話し合いの進め方・傾聴方法、班の役割分担(森栗)〈5分〉
 ※話し上手は聞き役、話下手は長く語れ、喝采力
③役割分担+自己紹介とこの町に暮らす自慢      〈10分〉
④そんな自慢の町で温暖化防止、どんなことをしていますか=本音トーク〈10分〉
【5】ショート講義(森栗)ほんまは何が効果的か?温暖化防止。計測一覧図〈5分〉
⑥今後、どんなことをしたら良いか。私は何ができる。この町はどんな町になったらエーか。〈10分〉
⑦話し合ったことを、ポストイットに水性マジックで記入しましょう。⇒まとめましょう〈10分〉
 ※マジックだと短く、端的に書かねばならない
⑧発表大会〈3分×五班=15分〉
⑨まとめる博士(森栗)〈10分〉
【10】フィードバック…口コミで、個々の組織でいかに伝えるか。実行するか。
⑪再度、語り合い〈10分〉
⑫一週間後、メールで口コミ数の報告、問い合わせ

このくらいしつこいワークショップでないと意味がない。

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2010年6月15日 (火)

『もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネージメント』を読んだら』

ドラッガーの『マネージメント』は、政策に関わってる者なら、経営学の開祖:ドラッガーを知らないとはいえまい。私も、文学博士なので、まちづくりや協働型交通計画の議論のなかでマネージメントを声高に言ってきたが、ドラッガーと言われ、その場は言い逃れ、密かに読んだ覚えがある。
 ところが、本書は高校野球という具体のマネージメントが示され、自分の行動を反省すること7割、これはやってみよかが3割であった。

■自治体が計画する特区の顧客は誰か?その現実・欲求・価値は何か?すると目的がわかる
 顧客=地域住民
 目的=地域住民の持続的な安心暮らし
 not:特区設定で食い扶持産業を起こし、高速道路を無料化してバンバン売りさばく

■到達目標を明示し、マーケティングさせることが第一である。そのフィードバック、継続学習はもっと大事である。
 特区の到達目標=持続安心地域づくりとそこから立ち上がるイノベーション
 マーケティング=該当地域の市町村はどう考えているか。都道府県の研究所はどう考えているか
 フィードバック=どんな相手も尊敬し、信頼関係をつくり、常に情報交換する態度。
 留意:ええかげんな調査をやっている研究所、ずさんな行政計画と最初から決め付けない。

■野球部がマネージメントで有名になり、入部希望者が増えた⇒拡大市場・新分野では、面接し最適規模を保つことが重要
 反省:まち歩きの授業が人気沸騰で30人を越えてしまった。来る者拒まず、エー調子になってやっていたら、中身や人間関係が薄くなってしまい成果が上げられない。

■マネージメントの最大のメッセージは人事である
 特区プロジェクトの人事権は、外部アドバイザーである私にはない。しかし、しっかりやっている市町村、方向を考えている職員を名指しして褒めることはできる。間接的人事権の発動?

 ちなみに、我がつれあいもこの本を読んでいたというから驚いた。こんな具体的なマネージメントの本を読んだのに、何で冷蔵庫の野菜が腐るのか? 古い冷凍食品を処理するからといって、朝ごはんで、キャベツの炒め物の残りを食べている私に、豆腐の味噌汁と鰆の塩焼きはないやろう?
 ゲップ!!!
早起き爺の朝食には追加で鰆を「出来立てです」と出し、早々に食べた私に対して「朝の安い電力で、マーボ豆腐を作り、冷静してよ。夕食にすれば楽」と命じれば良いではないか。「料理上手のマーボが食べたいの」と言えば、狸もおだてりゃ木に登る。冷蔵庫の余った野菜をかき集めて残り物マーボを作るはずだ。自分で作るのだから、不平不満も出ない。
目標設定と人事のマネージメントができていない。マネージメントをする気のない人間が、この本を読んでも、所詮、青春ドラマ程度に「マネージメントって高校野球にもあるんや。ふーん」で終わってしまう。本の真の価値は、読まんでも解かっている、わかろうと問題意識を持っている人しか、本当にわかることはできない。

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2010年6月12日 (土)

芸術と技術:大阪北ヤードナレッジキャピタル2010から

インタビュー:対談from西尾副学長@大阪大、田川欣哉@takuramu design engineering、小川秀明@リンツ・アルスエレクトロニカ・フューチャラボ
 アートは語源的に技術と同じ人工物という意味。近代において、芸術と科学技術に分かれた。(※森栗補注=近代技術以前は、錬金術など魔術も芸術と同様)分離して考えるほうがおかしい。ただ技法としては、デザインとなると設計組み立てとなり、アートとなると批判→革新となる。(※=アートは社会と関わってこそ大きな動き、ビジネスツールとなる【小川】⇒博物館に収まって安心している芸術ではダメかもしれない)
 昔は、
サイエンスイノベーション
  ←〈ハードウェア×エレクトロニクス(60年代~〉×ソフトウェア(80年代~)
 今(2000~)は
ユーザーイノベーション←ネットワーク×サービス
その次は
ソーシャルイノベーション

ユーザーイノベーションのためには、紙上や言葉ではなく、技術もデザインもまぜこぜで利用者側にたって、とりあえずプロトタイプを作ってみて可視化して判断、決定せねばならない。(川田)
おそらく、日本企業は「お客様のために」と言いながら、プロトタイプを作る判断力、決定力がない。部長の了解を得てなどと、決定的に遅れるために、束になってかかってもサムソンに勝てない。(「なぜサムスンは日本の全電機メーカーの利益を上回るのか」『プレジデント』6月11日)

なぜサムスンは日本の全電機メーカーの利益を上回るのか

 

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2010年6月11日 (金)

【都市ツーリズム論参考資料】生協と住吉

■生協と灘住吉
 灘神戸生協(現コープこうべ)史料館には、 賀川豊彦氏が記した「協同組合の中心思想」が掲示されている。 「利益共楽」「人格経済」「資本協同」「権力分散」「非搾取」「超政党」「教育中心」。生協の根本理念である。
生協は19世紀前半におけるイギリスの産業革命を背景に起こった。イギリスのロッチディルで、 厳しい労働と貧困の中、生活を守るために28人の労働者が「ロッチディル公正先駆者組合」を結成したのが生協のルーツである。
■コープこうべと「観音林クラブ」
住吉村観音林(現在のJR住吉駅の山手)は明治38年頃に開拓された。山崩れで倒壊した寺跡が雑草と松林になっていた。阿部元太郎氏が地域一帯を買い取り、 上水道を計画し井戸を掘り、 住宅地として開発した。 その頃からここは水や気候がいいと、 財界人が多く住むようになり、 大正2年に住友家が居住して以降は高級住宅地として発展した。   
■観音林クラブ
阿部は住宅地開発のほか、 住民同士の交流やまちづくりを考える場が欲しいと、 明治45年に社交クラブ(観音林クラブ)と会館を作った。平素は講演会や座談会を開いたり、 囲碁や将棋などの娯楽活動が主で、 財界のお歴々がくつろぐ場所だった。 その場所が、 後にコープこうべの前身である灘生協を作るときの話し合いの場になった。この観音林クラブからは勅撰議員が5人、 大臣が2人出ている。文部大臣平生釟三郎氏の資産と会員の会費で観音林クラブは運営されていた。平生氏はさらに財団法人「拾芳会」を設立し育英事業、 教育・学術を普及奨励し、甲南病院や甲南学園を創設した。観音林クラブは22年間続いたが、 解消の際には会館が財団法人住吉学園に無償譲渡されている。
■灘購買組合の誕生
コープこうべのルーツである灘生協は、 大正10年に設立された。観音林クラブに行き来していた那須善治が事業に成功し、 その利益を社会事業に使いたいと思ったことが組合発足の起源。 那須は平生釟三郎氏に相談したところ、 新川(現神戸市中央区吾妻)で貧民救済活動している賀川豊彦を紹介した。賀川は、 宣教師をしながら食堂「天国屋」を営みボランティア活動をしていた。そこで、 後の4代目の組合長田中俊介氏と賀川を訪ねたら、 賀川は「寄付や慈善事業でお金をばらまいても社会はよくならない。 それより、 物価を安定させ協同扶助で助け合える社会をつくっていかないと暮らしはよくならない。 協同組合を是非作って欲しい」と言った。那須自身はこの考えにあまり納得はいかなかったが、 平生は自身のロンドン在住の経験からイギリスの協同組合の活動を見ていたので、 賀川の意図を理解した。協議の結果、那須もようやく納得して「生活協同組合に全力を注いでみよう」ということになって、 大正10年に灘生協が誕生する。
(灘とは、現在の東灘区(御影、住吉、魚崎、本山、深江、岡本)をいう。現在の神戸市灘区は、西灘だったが、戦前に神戸市と合併したので「灘区」とした。戦後合併した灘地区は、不本意ながら「東灘区」とされた)
神戸でも川崎・三菱両造船所の労働争議の後、 賀川豊彦の教えをもとに労働者が協同組合を立ち上げていた。労働者が作った神戸生協と事業家が作った住吉の灘生協があいついでスタートした。 明治時代の事業家の心意気で灘生協は誕生しましたが、 事業家自身の平素の暮らしは非常に質素で、 釘一本でも大事にしたそうです。 「日常は質素に、 志は高く」の精神の人達でしたから、 灘生協の運営も当時から「いいものを安く」をモットーにしていました。 那須善治は四国の生まれでしたので、 四国から直取引をして安く仕入れたり、 灘生協が出来たおかげで「お屋敷価格」として周辺より高かった観音林の物価を下げる役割も果たしました。昭和37年には神戸生協と合併し、「灘神戸生活協同組合」と名称を変え、灘神戸生協はさらに1991年に「生活協同組合コープこうべ」と改称された。生協と住吉

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2010年6月 9日 (水)

桜守と岡本

阪急岡本を学生と歩いた。
 駅の北西すぐに岡本南公園がある。東京帝大法学部卒、犬養毅秘書の後、ソメイヨシノ以外に多数ある桜種の保護・育成に自費で一生をささげ、桜の夙川公園などを指導した笹部新太郎の屋敷後を公園にした。岡本ファッションとまちなみのみに関心があるのかと思っていた学生が、桜守にとても感動していたのでそのお話を以下に書く。

 1960年には電源開発の総裁・高碕達之助から御母衣ダム(岐阜県)の建設にあたり、水没することになるというエドヒガン(推定樹齢450年、県指定天然記念物)の移植を依頼され、これを成功させた。桜の移植は極めて難しく、巨樹は不可能と言われたが、笹部は成功させ、日本の産業開発のために水没する村の人々の記憶を残し、「荘川桜」と名付けられた。同じ場所には、荘川桜の実生桜を若山芳枝(元ダム建設反対運動「死守会」書記長、のち「ふるさと友の会」会長)が育てた樹を1984年に移植した荘川桜二世もある。 活着確認時、住民はすがりついて泣いたといわれる。水上「桜守」のモデルである。
 1972年、国鉄バス名金急行線(名古屋~御母衣ダム~金沢間)の車掌・佐藤良二が沿線の荘川桜の話に感銘を受け、沿線に「太平洋と日本海を桜で繋ごう」と桜を植え続けた。この話は『さくら道』(中村儀朋・著/風媒社・刊)及びそれを映画化した『さくら』(1994年)のモデルとなり、国語の教科書にも載った。

なお、高碕達之助は、革命中国と日本との交流が途絶えたとき、隣国は仲良くすべしと、廖高碕民間貿易(LT貿易)として交流を継続させた人。

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2010年6月 8日 (火)

それで良いのか!団塊ドライブ遍路

2007年、団塊の世代、700万人が一斉に定年を迎えた。高野山の徒歩参道の九度山駅に、多くの定年男性が突然現れ、驚嘆したことを覚えている。
 蕎麦を打って得意げになっているのはかわいいものだが、高速道路を1000円でぶっ飛ばして、クルマ泊まり6日間で脱兎・スタンプラリーのごとく納経印を受ける。坂東三十三箇所、西国三十三箇所、その次が四国か。
一人で、納経帳、おいずる、掛け軸用紙、プレゼント用の掛け軸用紙と、たくさんの朱印×300円を納めてくれるから、札所寺院としては、門前町を歩き遍路に警笛を鳴らして押し入るクルマには無料駐車場を確保している。どうしても駐車場を確保できない寺は、境内を全部駐車場にしてしまった。駐車場のなかで鐘をつき、駐車場から犬を連れ、タバコを吸いながら、駐車場端のお堂で朱印。拝んでいる余裕はない。5時の納経時間までに効率的に回らねばならないから、ぶっぱなして暴走遍路。夜は、自慢のクルマのソファーを横にして、アイドリングで空調をいれすごし、コンビニで食事をして7時からスタンプに奔走。駐車場が近くにない寺では、民家の前に停め、注意される札所寺に抗議の電話を携帯から入れる。

弟子某甲盡未来際不悪口と十善戒で誓っているのであるが、見たこと聞いたことをまとめると以上のようになる。団塊世代が目につくだけで統計をとったわけではない。ただ、これらのドライバーが、四国の人々のお遍路さんに寄せる信頼、相互理解と帰依のコミュニケーション文化を破壊していることは間違いない。CO2とゴミ、排泄物、道路危険を四国に置いて、宿泊料もJR四国やバス会社にも一銭も出さず、山間の寺で道路維持費を求められると「高い駐車場や」と毒づき、お遍路コミュニケーション文化と門前景観、境内景観を破壊する団塊ドライブ遍路が爆発的に増殖している。

それで良いのか団塊ドライブ遍路と、うっかり悪口が口につくのも、団塊の一つ下・ポスト団塊、現役のなかで思うところあって歩いている私の修練のなさのせいかもしれないが、それにしてもひどいドライバーが多い。

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2010年6月 6日 (日)

庄内…道路不充分駅前商店街は素晴らしい!

大阪市の北隣に、豊中市庄内がある。淀川支流の神崎川と兵庫県東端の猪名川が合流する低地で、伊丹空港南進入路の真下である。
古代は、河口であり自然堤防の上に、神崎(現尼崎市)、加島(現大阪市西淀川区)、江口(現大阪市東淀川区)、の遊女君の聚があり椋橋連の荘園ともいわれ、行基が来たとき鯉が橋になって渡したといわれるほど、土木工事の必要な洪水地帯だった。近世、新田開発され、明治に合祀されて庄内神社となっている。
空港に近いせいか軍需関連工場の転用による戦後復興で復員者が集まり、大阪市と連なる住工混交地帯となる。これをあてこみ、1948年、豊南市場が開場、大阪中央卸売市場から新鮮な食品を持ち込み人気を博す。1951年、請願で阪急庄内駅が開業。1955年、庄内町は豊中市に編入した。1956年、輸送力が戦後復興においつけず、積み残しが出ていた阪急宝塚線住民が怒り、1000人が線路に座り込んで半日間電車が動けなかった庄内事件が起きている。その後も、2つのスパーと複数の商店街、安い呑み屋街となり、労働者を支えてきた。今も衰えを見せず、朝から人が押し寄せる市場は、戦後の風景のようであった。
とはいえ、高齢化の波は客層に現れ、座る場所がない商店街は辛い。また、駅に通じる道路が貧弱で、バスが駅に近づけない。駅前ロータリーもない。しかも平面駅で踏み切りである。駅にはエレベータもなかったが、ようやく工事に入っている。
したがって、駅へのアクセスは徒歩か自転車、もしくは駅から離れたところまでの迷惑承知の自動車送迎である。駅前駐輪場は不充分で、駅前横断歩道を含めた歩道・車道に無数の自転車が放置されている。駅東の進入道路は中央を仮自転車置場にしているが、需要においつけない。周辺には、老朽化したアパート・文化住宅を建替えたマンションがあり、自転車はさらに増えている。駅周辺のアパート群は高齢化しているが、便利なため若年世代も入っている。ただし、防火設計が不足したものが多く、商店街とあわせて大火災の危険がある。
 課題は、自転車問題と高齢化対策である。
■自転車問題…難しい。西は商店街駅遠入り口にある民間市場(ほとんど空、2階に居住、猫問題などを抱えている)を機械式民間管理による長時間自転車駐輪とし、南線路沿い道路を仮自転車置場として機械式民間管理にすべきである。すでに、大型スーパーではエコステーション21で見事に自転車整理をおこなっている。東は難しいが、駅から少し離れたところに大型駐輪場をつくり、長時間定額駐輪を認め、駅前は徹底して取り締まるべきであろう。一気には難しいので、土日から予告してすすめていき、実験的に平日1週間をやってみるべきであろう。一般論として、これまで課題解決できなかった市役所退職者が多いシルバー人材センターに、今後も課題解決を期待してはいけない。Img_02191 Img_02201
■高齢問題…少し場末には、貸し本屋+100円喫茶が現実にある。そもそも物価が安く、珈琲250円が目に付く地域であるから、こうした民間の動きを支援する制度があれば、商店街のそこここで高齢者が安くでくつろげる場所をちりばめることは可能である。要は、福祉政策、商店街振興という個別施策で対応するのではなく、総合的に対処することが重要ではなかろうか。

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2010年6月 2日 (水)

何で食べるのかではなく如何に暮らすか

①食の自立、②エネルギーの自立、③命育てシステム による地域再生といっても、新たな産業が起きて雇用が発生し、それで食べることを目的としてはいけない。
 現実は、多くの住民が公共施設、病院、買物施設から離れて居住し、歩いて暮らすわけにはいかない。高齢者や子どもなどクルマに頼れない人には暮らしにくい。安心して暮らせない地域に、新しい産業が来るだろうか。暮らしにくい地域に、観光客が来て楽しいだろうか。

バラバラに居住している中山間の現実では、歩いて暮らすことを支援する多様な公共交通システムを整備し、人々の安心暮らしを担保した上で、食の自立、エネルギーの自立、水の自立、そしてiパッドを活用した安心医療システムとなるのではないか。
 歩く暮らしを支える公共交通システムとしては、自転車道、シニアカーが走りやすい歩道、バス&レンタサイクル、エコカーの低料金シェアリング(ニコニコレンタカーのように6時間2400円くらい)、新交通基本法を使った公設民営による全車両低床バス化、予約式乗合タクシー(運転手による介護支援可能)、高速バスと地域バスの時間・場所・料金円滑化、交通連合で計画運営し、既存車両・既存人員も含め事業者委託する。

「持続地域づくりの基本は、自立移動による安心である」と内閣府の人から指摘され、新産業ばかり考えていた自分が恥ずかしくなった。

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