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2010年5月24日 (月)

残間里江子『それでいいのか蕎麦打ち男』

2007年、団塊の世代、700万人が一斉に定年を迎えた。高野山の徒歩参道の九度山駅に、多くの定年男性が突然現れ、驚嘆したことを覚えている。その団塊の世代を、“そんなことでいいのか!”と喝をいれるのが本書だ。
 「蕎麦打ち」、「NPO」、「陶芸」、「世界遺産巡り」という、団塊の男たちの“逃げ込み場”。「ヨン様の追っかけ」、「孫転がし」という、団塊の女たちの“逃げ込み場”。
 そんなものに興じている場合ではない、主役に踊りでる最後のチャンスではないか、というのが本書のテーマだ。
 とはいえ、世代でくくって何かをいうというのが無茶。血液型性格程度の話題だが、かつて、妻の行く先々に「ワシもいっしょに行く」と付いてくる定年後の夫を「ワシモ族」と命名した著者の揶揄は興味深い。
 趣味ではじめた蕎麦打ち男はいつか仕事をやめて蕎麦屋を開きたいなどといいだす。しかし上野藪蕎麦の当主は、「蕎麦打ちがうまくても駄目、汁もつくる、天ぷらも揚げる、デザートもつくる。みんなできなくてはならない」と。蕎麦打ち男ではなくても、その気があればまったく未経験でも本気で商売としてやっていく気さえあれば一月の養成講座で蕎麦屋が開けるという。要はやる気であると。資金計画から、厨房の設計設備、仕入先の知識、種々の蕎麦の作り方、簡単な一品料理の作り方、すべてが必要と。趣味の世界は社会との繋がりがない。商売の世界は社会の中にある。その違いである。
 終身雇用制の最後の世代、年金と退職金が担保された団塊の世代が、拝金主義と私生活主義をひきづって何をするのか。期待していない。そもそも団塊の世代が社会や国家を論じたとき、全共闘から赤軍、無責任環境主義等、ろくなことがなかった。
 筍ほりの爺さんにエリアマネージメントの主体を期待するのは、本当だろうか。
 団塊の世代の泥はねばかりを受けている55歳の私としては、眉に唾をぬって現場で考えるしかない。
 確か、元ゼネコンで各地の開発をし、由布院を気に入って金鱗湖畔に店を開き、そば道場を開いた方は、由布院の地域づくりにも関与されていると聞いている。蕎麦男一般を世代で議論するつもりはないが、地域でどんな働きをしているのか、丁寧にみてみたいと思う。
 私自身、趣味のお遍路も、この夏、本気で通夜堂、接待宿でお話を伺いつつ、通しで廻ってみようと思う。プロの遍路をめざして。

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