お接待文化は困難を極めている
連休、授業として学生と遍路ころがしを歩いた。
学生は、地元の方といろんな出会いがあったようで楽しそうだった。
学生どおしも、先に歩いたり、休憩で出会ったり、専攻や研究室の枠を越えた交流が楽しかったようだ。
ただ、最近は、過疎の一人暮らしの老人宅に、集団で上がりこみ、お接待だといって勝手に飲み食いを要求し風呂まで入っていく者がいるという。それで、過疎村の高齢者住宅が昼でも鍵を閉めているというから、驚いた。
各地の接待宿も、こうした輩が居つき、困り果てた施主が接待宿をやめたケースが多い。
考えてみると、自動車は便利だし、お金さえ出せば何でも手に入れることができるし、私などの子どもの頃に比べればみんな立派な家に住んでいる。しかし、その結果として、自動車なければ何もできない町=子ども・高齢者が途方にくれる、安ければを求めて意味のない渋滞に陥る人々、無秩序なスプロールと田んぼの中の巨大SC(ショッピングセンター)。
千円高速で「安い」と思って、高松にうどんを食べに行く人が30km渋滞していた。これは幸福なのであろうか。
巡礼道の場で出会った人々が、相互に尊敬し信頼し、語り合うお接待が危機に瀕している。境内まで侵入するクルマ、駐車場。短時間に札所を回れば良いとするスタンプラリー。四国遍路もまた、現代社会の課題と無縁でない。
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