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2010年5月14日 (金)

渋沢敬三が宮本常一に託したこと

開戦前に日本の敗北を予感し、敗戦後日本が復興するには、日本の民衆の暮らしを基礎にせねばならぬと考えた渋沢敬三日銀副総裁(戦後、大蔵大臣)は、宮本をアチックミュゼアムに居候させ、私費を投じて宮本に全国を歩かせた。そのとき、渋沢は次のような教訓を話している。
「大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況を見ていくことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしまう。その見落されたものの中に大事なものがある。それを見つけていくことだ。人の喜びを自分も本当に喜べるようになることだ。人が優れた仕事をしているとケチをつけるものが多いが、そういうことはどんな場合にもつつしまねばならぬ。また人の邪魔をしてはいけない。自分がその場で必要を認められないときは黙って、しかも人の気にならないようにそこにいることだ」
 自分自身を反省すると、身が縮む思いがするが、これがなかなかできないのも人間である。そういう自分をいとおしく思いつつ、この教訓を心に留めたいと思った。

宮本は、周防大島から大阪・東京に出稼ぎに行っているつもりで、郷里の畑を耕し、年に何度も帰っていた。それは子ども時代の楽しい行事、記憶が、宮本を固く郷里に結びつけているからである。今日の過疎・限界集落のもうひとつの原因は、地域の暮らしが地域連帯・子どもたちの記憶に残るものを失ったからではないかと思う。
 宮本は「どんなところにも人間の意思がはたらき、それが現実のものとなっており、しかもその意思と意思には限界があり、限界が境を作っているのである」という。宮本は、民俗的なものよりも、暮らしの中にある意思を読み解きたいと考えていたのである。

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