大学の場で学生と市民が出会うハーモニー
大学の場で語る幸福を感じることが多い。
A市は先進的まちづくりで有名であるが、新たな方向を模索するなかで私の授業に話題提供してくれ、それを学生らと議論することになった。月曜日、A市役所の職員が授業に参加してくれた。まちづくり支援において、どのような悩みを抱えているのかを学生らの議論のなかで聞いている間に、個々の職員の思い、迷いが、するするとわかってきた。
役所で膝突き合わして打合せしているときとは違うこの相互理解の雰囲気。とても気持ちよかった。
一方、非常勤講師で行っているB大学。まちの魅力の観察法や、生活環境学のあいまいさが己の思考にとっては大切だなど、70名の学部生が熱心に聴き、リプライペーパーに熱心に思いを書いてくれた。それを読んでいて嬉しくなった。
大学って良いところだなあと。
丁寧に相互理解を深め、丁寧に考える場なのだと。
【当たり前だけど、学生は惰性で授業を受け、単位だけを考え、教員は義務的に教授のみをおこない、相互理解を求めないことも多い。この大学では私語が普通で、いろいろ学生を管理・指導しているようだ。私は彼女らの注意が集まった段階で、数人に話すような小さな声で話し、注意などしなかった。】
大学の授業に、市民や企業人、行政マンに来てもらいたい。大学の授業に社会人や大学外の人、他大学の先生が来て、語り合いをするのは、大切なことだと思った。
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