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2010年4月 8日 (木)

【4月10日授業資料】脇田修岸田知子『懐徳堂とその人びと』

文化を、武家のたしなみ、公家の正当化に堕したのは、江戸幕府である。コレに対して、経済力を背景に、京都では心学、大阪では懐徳堂が町人からおこり、山片蟠桃、富永仲基、中井竹山などが学んだ。本格的な重建懐徳堂は、東横堀川、本町橋東詰北にあった。第一代学手三宅石庵は製薬を営んでいたが、権力に寄り添う儒者には評判が悪く、腐儒と非難されたが、幕府の御用儒者よりは本物である。
 
中身は、古典を講じるのみならず、わかりやすく噛み砕いて講義した。古典そのものではなく、古典をどうとらえるか「誠の道」が講じられた。寧静舎に寄宿し、西日本の各藩儒になった者も多い。しかしながら、独歩の道を行った懐徳堂は明治2年閉じた。
 
明治43年、大阪府立図書館初代館長今井貫一のの提唱で、懐徳堂の復活が提案された。発起には、大阪府知事、大阪市長はもとより、朝日新聞社主、毎日新聞社主、藤田組主、住友銀行社主、鴻池銀行(現UFJ)社主、などが集まった。
 
政府は大阪市東区にあった第三高等中学校を京都に移転し、後、帝国大学とした。日本第二の都市でありながら、大阪には長く帝国大学がなかったが、理・工・医学部をもって、やっと帝国大学発足。しかし文系ができるのは、懐徳堂を基礎として戦後である。
 
こうした大阪の先学の努力の歴史を思うとき、郊外の研究室に閉じこもって、形式的な学問をしていては申し訳ない。若者にわかりやすく誠の道を講じ、ひろく社会人に大阪の町で学んでもらわねばならない。学生を大阪の町に戻したい。

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