乳母の懐:私はこれで民俗学を辞めました
私は元民俗学。その因縁で、池田市史編纂委員長をしている。
編纂委員に、報酬が出てるんやから、市広報のコラム記事を書くのは義務だと言い出し、自分が書く番になった。長く、民俗学から離れているので頭の切り替えが大変だった。
【おんばのほところ】
池田の心に残る風景といえば、五月山と猪名川というのが一般的である。しかし、人々が歩いて移動していた近世から近代、高度成長までは「おんばのほところ」を知らぬ池田人はいなかった。
池田旧町の北側、綾羽町・城山町から巡礼街道(勝尾寺から中山寺にかけて)を通って畑村に行くには、杉谷川に沿った竹薮・樹木の繁った昼なお薄暗いおんばのほところ(現・体育館駐車場あたり)から接待池(現・五月丘小学校)に出るのが近道だった。
ホーホーという恐ろしい声やザアーというざわめきが聞こえ、上から砂が降ってくる、狐や狸に騙された場所として皆語り合った。恐怖スポットであった。おんばとは、何やら砂かけ婆をイメージしそうであるが、市史の民俗調査では妖怪の話は聞けなかった。
ただ、全国の「乳母」とか「婆」「産」の地名をみてみると、産湯井、姥が淵がある。生活用水、鍛冶焼入れ水、死に水でも良さそうなものだが、なぜか「産」なのだ。これらは、ウブ、バウバウ、すなわちブクブクと泉の湧く音、淵で水がたぎる音、泉や淵に関わった伝説なのである。姥石の伝説も、石が成長する話しで、ブクブクなのである。ウブ・ウバ⇒御ウバ⇒オンバなのである。日本語や地名は、漢字で考えてはいけない。「乳母」や「婆」「産」は後からの連想で解釈した当て字であり、ブクブクという音に注目すべきなのである。幼児語で、水をブブというのはブクブクという日本語の擬音なのである。
ほところは、ふところ=谷の奥まった場所という意味である。落城の折に乳母が子どもを懐に隠して連れて逃げ、水を飲ませたので、この水を飲むと乳が出るという伝説もある。谷奥(=懐)は、地形的に言うと傾斜変換点であり、地質的には断層、地層の境界になっていることが多い。当然、水が湧く可能性が高い。乳母の懐とはロマンを感じさせるお話だが、要は地質路頭における傾斜変換地点の湧水箇所=ブブを意味しているにすぎない。(味気ない言い方ですが)
この怖い場所を、冬の深夜巡る行事があった。毎年大寒の入りの頃、稲荷施行をする。赤飯を炊いておおきな握りにして油揚げを乗せた物二つを竹の皮に包んで、「せんぎょ、せんぎょ、稲荷せんぎょ」と言って、30人ほどで、あちこちの木の根元、洞穴に赤飯を供える。町内→鎮山(現、図書館)→池田山峠茶屋(現、五月丘停留所)→接待池→おんばのほところ→城山町→ひょうたん山(ダイハツ池田工場)→町内 と回り、夜10時頃帰宅するという。
つまり、町はずれ、人の世界の境界を過ぎ、狐の世界(山)との境界を、不安の局地になりながら回るのである。なかでも、ウバウバという泉の音のするおんばのほところで、池田の人は、恐怖体験局地に達する。
町に戻って、池田市民は、お互い「実は」と、恐ろしい体験を語り合っていたのである。「おんばのほところ」の恐怖体験談こそ、池田人の心の原風景であった。(『新修池田市史第 5巻』)
地質と地形と擬音から理づめで考え、神やロマンで説明しない私は、旧来の民俗学を死臭がする、抹香くさいと罵った時期があった。旧来民俗学にとってはやっかいな存在と思われていた。事実、博士論文審査で、そう発言した長老がいた。
まちづくりや交通に関わるようになったのは、当然の帰結であった。
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