信頼とコミュニケーション
信頼性は、まずは関わる(ルーマン的にいえば作動する)ことから始まる。ホットラインによる信頼醸成装置や首脳の直接コミュニケーションがその例であろう。それは、システムとしての信頼と、対人的コミュニケーションによる信頼とにわかれる。私は、新田裕子「『信頼性醸成装置』概念のルーマン理論による再規定」から、システム信頼の可能性を教えてもらった。
コミュニケーションにより動機づけができねば①、人々は周辺ルートによる処理、価値類似性をさがそうとする。「どうせ悪の帝国だ、信頼できない。ブレアも嫌いというとった」と。
もしコミュニケーションによって動機づけができたとしても、自己に情報処理する能力がなければ②、人々は周辺ルートによる処理をしようとする。
①②どちらもYESのときのみ、信頼は生まれる。これを信頼の二重課程理論という(「安全。でも安心できない」)。〈前田恭伸「市民のためのリスクマネージメント」阪大環境リスク公開セミナー)
高速道路無料化が決定された。ひょっとすると観光客が来るかもしれない。生鮮品の販売ルートが広がるかもしれない。しかし、高速道路無料化で、高知県宿毛・中村や愛媛県宇和島・大洲への高速バスがくなり、その収益に頼っていたバス会社がつぶれ、JR予讃線、土佐くろしお鉄道が廃線になり、クルマでしか移動できない地域になるかもしれない。一人でクルマを乗り回す社会になって、お互いが時間と席を融通しあって乗り合わせる、町かどで出会うといった、地域のコミュニケーションが阻害される。コミュニケーションを失ったクルマのみの社会では、相互の信頼は薄れるであろう。信頼性の薄れた地域社会に、はたして持続的な産業、地域づくりができるであろうか。高速道路無料化で、中期的には過疎地の崩壊を加速させないのかなあと、案じているのである。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 子供の死 と 最高の仕事 との背中合わせ(2019.02.17)
- ソロー 野生 意思に応答する 自由・愉快 延藤安広の言葉(2017.04.03)
- 偶然と必然(2016.04.04)
- 歴史から考える府市合併と大都市自治(2015.07.13)
最近のコメント