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2010年2月 4日 (木)

信頼とコミュニケーション

信頼性は、まずは関わる(ルーマン的にいえば作動する)ことから始まる。ホットラインによる信頼醸成装置や首脳の直接コミュニケーションがその例であろう。それは、システムとしての信頼と、対人的コミュニケーションによる信頼とにわかれる。私は、新田裕子「『信頼性醸成装置』概念のルーマン理論による再規定」から、システム信頼の可能性を教えてもらった。
 コミュニケーションにより動機づけができねば①、人々は周辺ルートによる処理、価値類似性をさがそうとする。「どうせ悪の帝国だ、信頼できない。ブレアも嫌いというとった」と。
 もしコミュニケーションによって動機づけができたとしても、自己に情報処理する能力がなければ②、人々は周辺ルートによる処理をしようとする。
 ①②どちらもYESのときのみ、信頼は生まれる。これを信頼の二重課程理論という(「安全。でも安心できない」)。〈前田恭伸「市民のためのリスクマネージメント」阪大環境リスク公開セミナー)

高速道路無料化が決定された。ひょっとすると観光客が来るかもしれない。生鮮品の販売ルートが広がるかもしれない。しかし、高速道路無料化で、高知県宿毛・中村や愛媛県宇和島・大洲への高速バスがくなり、その収益に頼っていたバス会社がつぶれ、JR予讃線、土佐くろしお鉄道が廃線になり、クルマでしか移動できない地域になるかもしれない。一人でクルマを乗り回す社会になって、お互いが時間と席を融通しあって乗り合わせる、町かどで出会うといった、地域のコミュニケーションが阻害される。コミュニケーションを失ったクルマのみの社会では、相互の信頼は薄れるであろう。信頼性の薄れた地域社会に、はたして持続的な産業、地域づくりができるであろうか。高速道路無料化で、中期的には過疎地の崩壊を加速させないのかなあと、案じているのである。

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