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2010年2月 9日 (火)

若尾五雄後談

南信州新聞記者 後藤拓磨(飯田市)からメールをもらった。列島各地の筒(つつ)の地と、断層・鉱山の関係を渡来人文化との関係で研究されているらしい。ツツ地名に鉱山が関係し、山城綴喜(つづき)郡、不老不死伝説の丹後の筒(管)川、銀山のある、対馬の豆酘(つつ)。さらに水銀の出た、紀州の筒香を巡られたよう。
 綴喜郡で戦国の世に、甲斐の穴山梅雪が討たれている。一方、梅雪とともに本能寺の変(天正10年6月2日)を知った家康は、同じツツの地を無事に抜け、伊賀越えし、その2週間後には甲斐にあらわれ、梅雪領と武田遺臣も手に入れる手際のよさです。 梅雪の先祖とは何者か。家康の先祖は何者かと研究されている。
 昔、私がゴーストライトした若尾五雄さんの先祖と見られる若尾杢左衛門なる人物が、やはり天正10年暮れの徳川家康印判状の写しに見えるようで、この若尾氏は家康の関東移封にはつき従わず、甲州若尾村に留まったいう。 この若尾村が、梅雪の本貫地・穴山郷と同じ韮崎市である。ここ北巨麻郡は「渡来人の里」が近年定説であり、後藤さんは梅雪に導かれ、古代・山城国のツツの地に入った渡来人(採鉱冶金の民)を調べているという。その梅雪の甲斐・穴山郷と、今、導かれる若尾五雄の先祖の地が釜無川を挟んで北と南にあるという。 若尾杢左衛門とは、書かれた伝承であり、木工の冴えた人、木地師の移動を表した偽書かもしれません。鉱脈の尾をとって、すりつぶし木地屋が作った揺り鉢にかけて選鉱し、木炭を入れてユに湧かし(若尾)たのではないか。その若尾が、明治になって横浜で若尾銀行を経営している。繭(桑畑)と黒鍬(土木)技術、土木技術を使った鉱山開発、時代変化のなかでの桑畑開拓。ひょっとすると、甲州土木のドン、金丸信の根源に行くかもしれません。
 素人の妄想はこのくらいにして、後藤さんの丁寧な研究に期待したい。南信州新聞に4年間連載されているという。

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