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2010年1月 3日 (日)

私の幸福とは何か

個人的な話。
2日、長田の復興市営住宅で一人で暮らす母のところへ家族で出かけた。
 実は、昨年、弟が50を越して結婚した。10歳離れたお嫁さんは明るく、粘り強く、竹を割ったような美人。残り福とはこのことかと思える幸運。80歳の母はご満悦である。
 震災の混乱もあって、まだらの混乱系の認知症がある母は、近隣の人に迷惑をかけ、団地の中でも孤立していた。それとなく、母を引き取ってくれとの電話もあった。が、生活環境を変えれば混乱に拍車がかかる。とはいえ、母はヘルパーの派遣を良しとせず、困っていた。干渉し過ぎるとトラブルを起こすし、勝手に怒って大騒動した挙句、本人はそれをケロッと忘れる。
 正月も、心をかけて長い時間滞在していると、家族全員に騒動をしかける。味覚も狂ってきたのであろう、お節料理もやたら甘い。昨年の正月、わが家族は短時間訪れて、逃げるようにして帰った。
 こういう母の場合、実子はどうしようもない。つれあいが、丁寧に電話し、「財布が無くなった」と言えば、仕事の合間に飛んでいった。そうこうする内、「あんたが隠した」となるから、あまり親切すぎず、かつ離れ過ぎず、注意を払って見守ってきた。
 ところが、今年は長時間の滞在でも何の混乱もない。驚くべきことに、お節料理が、とても旨い。薄味の上品な煮物は、母にこんな力があったのかと思えるほど旨い。
 弟の嫁さんは調理師さんである。どうも意識して作ったようだ。
 復興住宅の独居老人の部屋に、家族が集まりにぎやかに語らった。
「お母さん、ありがたいネ。幸福ってこういうもんだ」と語合った。母は混乱症を少し先に置いてきたようである。

春集い ボケ先送る 翁顔
 つくづく思った。人間の能力は周りの人間環境が反映される。異なる人、一人が入ることで能力が開発され、一言声かけするだけで力がみなぎる。だから社会や地域がある。
 おそらく、協働とは大きな家族である地域社会において、相互に声かけしあい支えあうプロセスで幸福を一瞬、一瞬、実現させることであろう。その評価は、異なるセクターも含めた出会いの議論のプラットフォームがあることであり、その動きを共有できるフィードバックがあることである。決して、協働作業におけるドーパミンの量を計っただけで、幸福が説明できるのではない。幸福は、協働によって持続が担保されるのである。

友人(と思っている)の藤井聡さんは「土木計画の目的は社会正義の実現である」と述べている。藤井さんはクルマに頼りすぎな社会を作るための、個々の人々の意識に問いかけるフィードバックのあるコミュニケーションプログラムを作った第一人者。これも尊敬するが、私は「インフラ構築の目的は、幸福の持続」であると確信した。
 母も私もいつ病気になるかわからない。病気の有無も重要な幸福ファクターであるが、どれでけではない。協働はそのプロセス自体が幸福であり、一瞬一瞬の幸福を連続していくことを、持続という。それを担保していくのは、多様な人々が出会う場・時間、そして相互の信頼を支える語合い・フィードバックであろう。

そういえば、末期ガン患者が最後にすがる玉川温泉(秋田県)も、人間の相互作用が、自然治癒力を高めていた。 「研究ノート 聞書き「玉川温泉生活誌」~末期がん患者の集まる温泉から~」

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