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2009年12月18日 (金)

続々続々:新しい公共

マイケル・ポランニーを読む前に調べていると「松岡正剛千夜千冊」にいきついた。「暗黙知の次元」が書評されている。
 松岡が指摘するポランニーは面白い。
【科学は観察の拡張であり、技術は制作の拡張であり、数学は理解を拡張したものである】といった指摘。どんなコミュニティバスが可能かとモードばかり計測している者には、観察を薦め、観察しただけでなまくらな感想をほざく人文学生には、観察を数字にする政策力を教えたい。協働の数値評価はこれにあたる。
 また松岡は、
【ポランニーは発見のプロセスを研究するにつれ、しだいに「知ること」(知識)と「在ること」(存在)のあいだには共通して「見えない連携」のようなものがはたらいていることに気がついた。最初にヒントを与えたのはレヴィ・ブリュールの研究である。レヴィ・ブリュールは未開部族の原始的精神機能を先行的に研究していて、そこに個人の感情ないしは動機が外界の出来事としばしば同一視されていることを指摘していた。レヴィ・ブリュールはこれをとりあえず「参加」(participation)と呼んだ。「同一視」「参加」あるいは「連想」が生きているだろうことを確信し、これを「ダイナモ・オブジェクティブ・カップリング」(dynamo-objective coupling)と名付ける】
と指摘する。知ることと在ることが関わる現場に参加するなかでの思索、異なるものどおしの組み合わせを見出す瞬間、フィールドワークとは現場知とは、カップリングの連続なのだ。だから、素人の私が交通まちづくりに口出す意味がある。
 松岡は指摘する。ポランニーは「発見は対象知(knowing what)によっておこるのではなく、方法知(knowing how)によっておこるにちがいない」と踏んだ。
 なるほど、人口・高齢化率・自動車保有数・既存バス路線を調べて対象知のみでインフラを計画するから失敗する。現場を観察し対話し、どのような願いがあるかを理解し、それを数値に拡張する方法論がすべてである。
 ここで議論している「新しい公共の評価}というのは、そういう方法論である。
よし、わかった。本日、「暗黙の次元」を読み、年内に「新しい公共の評価」に関する論文を書こう。無理だろうと思うから、書いてみたい。突如、神様がおりてきた。

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