播磨屋東京霞ヶ関フリーカフェ
わが兵庫県のおかき屋が花のお江戸でフリーカフェを開いたと聞いて、行ってみた。おしゃれな店舗に、おかきとコーヒーのフリー。多くの人で賑わっていた。一人のビジネスマンの横に同席し、少し聞いてみた。
以前は、贈答の文字を書いてもピシッと書き、丁寧だった。タダということで人気が出てくると、贈答売り場での店員さんの丁寧さが抜け、店内がガサツになってきた。昼過ぎはいっぱいで、ゆっくりできない。
という。環境理念を大切にする播磨屋にとって、ファンであったお得意様のこの発言は無視できないと思う。
タダはインパクトがある。無限定のもてなしである。が、一方で、タダは人間の価値をおとしめることもある。人間は、己の暮らしと他者への配慮を、節度をもって見つめることが重要で、タダだからこんなものと設定した使い勝手の悪いバスは、結局、税金の無駄遣いになる。タダで高齢者に無料パスを配って莫大な赤字を計上しても、急速な高齢社会のなかで、「利用せにゃ損」と押しかける体力ある人だけが高齢者満員のバスを利用する。タダだから良かろうというのが、すべての高齢者を敬ったことになっているのだろうか。
播磨屋のねらった、おかきと茶による無限定のもてなしが、もし、結果としてコミュニケーションレスに貢献してしまっているとしたら、せっかくの努力が本末転倒ではないかと、同郷の者としては憂えるのである。
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