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2009年9月 6日 (日)

災害の記憶と伝承:長崎さるくに学ぶ①

原爆の被災記憶はどのように伝承されているのか。長崎さるく(まち歩きガイドツアー)に参加してわかった。

長崎さるくには、50近くのコースがあるが、原爆被災に関しては、
(18)アンゼラスの鐘の丘を訪ねて~原爆落下中心地・平和公園から浦上天主堂~
(19)被爆校舎で耳をすませば ~原爆落下中心地から城山小学校へ~
(20)世界で2番目の一瞬に思いをはせて ~旧長崎医科大学、山王神社から坂本国際墓地へ~
がある。(18)をガイドについて120分「通さるく」した。後の2コースは地図を持って一人で「遊さるく」した。

一方、(財)長崎平和推進会議には継承部会があり、40数名の語り部がいるが、高齢のため実際に、原爆資料館で語れるのは30数名である。平和推進会議では、平和案内人を公募して、周辺慰霊碑めぐりや被爆建物巡りを実際している。平和案内人のなかにはさるくガイドをしている人もいる。

(18)のさるくマップを見て驚いたのは、1867年の浦上四番崩れにより、3384人のキリシタンが捕えられ西国諸藩に送られ、明治政府により弾圧を受けたことである。長く潜伏していたキリシタンが、幕府後によもやの殉教に見舞われた。その浦上が原爆で多くの被害者を出し、キリスト教徒が多かった。マップは原爆被害とキリスト教徒受難を包括的に描いている。「怒りの広島、祈りの長崎」の意味が、歩いて初めてわかった。碑めぐりではわからない。

国立の祈念館もある。しかし、慰霊とは基本的に個人が行うものである。ただ、被災は都市共同の記憶として、資料館や慰霊碑、被災建物、それに人々の語りによって伝承されていかねばならない。資料館と慰霊碑めぐりだけでは、災害の記憶は伝わらない。地域の暮らし・歴史に包括された被災の記憶をみたとき、初めてその意味が理解されるのである。

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