福澤諭吉『文明論の概略』第1章
昔年の異端妄説は今世の通論なり、昨日の奇説は今日の常談なり。然ば則ち今日の異端妄説も亦必ず後年の通説常談なる可し。学者宜しく世論の喧しきを憚らず、異端妄説の譏(そしり)を恐るゝことなく、勇を振て我思ふ所の説を吐く可し。〈だから私はときどき嫌われるが〉或は又他人の説を聞て我持論に適せざることあるも、よく其意の在る所を察して、容る可きものは之を容れ、容る可らざるものは暫く其向ふ所に任して、他日双方帰する所を一にするの時を待つ可し。〈そや、この余裕が必要!心したい〉即是れ議論の本位を同ふするの日なり。必ずしも他人の説を我範囲の内に籠絡して天下の議論を画一ならしめんと欲する勿れ。
幕末激動の時代は、2年前の藩幕の常識が、一気に非常識になる時代だった。今日の日本も、改革と称する新自由主義が常識の時代から、鳩山内閣への変わり様である。10年前はコミュニティバスと叫んでいたが、今はデマンド…。違うやろ!どんな町にしたいのか、そのためにはどんな手があるのか、自分で考え、異端だろうが妄言だろうが、異論に耳を傾けつつ、ガンガンやったらエーということ。
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