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2009年6月 2日 (火)

野暮とアホの比較コミュニケーション論

震災以来、防災まちづくりの先進地として、神戸まちづくりの仲間と墨田区向島との交流が続いている。地元の塾のA先生のコメントやテキスト「内から見た向島」は向島の暮らし方を的確に表現し、アートや防災まちづくりを探求に来た学生に、尊敬、思慕されている。そのA先生から「野暮の探求」なる長文を頂戴した。

訪問する学生のなかには、向島に「粋」を探しにくるそうだが、花柳界からくるマスコミ単純評価「向島=粋」を住民生活に求めること自体が、野暮。しかし、訪問者を「野暮だね」と非難しつつ、包み込む:受け入れるのが向島の凄さ。

粋の一面は謙虚な暮らし、野暮の極限が、外からやってきて、日常の普通の暮らしを、カタカナ学術用語でごたごた説明しようとすることだという。野暮には洒落がない。粋に通じる洒落とは、駄洒落、御洒落、さりげないふるまいだという。駄洒落の生命線は即興性、空気を読むことだそうだ。

考えてみると、粋とは、相手に負担をかけないようなお節介、さりげない気遣い、見えないところでの思いやり、⇒洒落を生き方のポリシーとするところであろうか。自己と異なる価値観を押しなべて「ダサい」と突き放すのではなく、「野暮だね」とその場のコミュニケーション回路を開きつつ、即時性、見た目、ふるまいのコミュニケーションデザイン力を求めているのである。近頃の「ダサい」と異なるのは、

①断罪・突き放しではなく回路が開かれている

②自己の価値観を強要するのではなく、謙虚・配慮・さりげなさを求めている

ところである。

大阪での同様のコミュニケーション用語は「アホかいな」である。当然ながら、大阪弁のアホは批難ではなく、また名古屋の「トロくしゃー」でもなく、「凡人としての仲間だね」という意味であろうか。そういう意味では「野暮だね」と似ているかもしれない。ただし、「アホかいな」は、外部の人に向かって言うことはない。内々の傷のなめあいコミュニケーションなのである。

もし、「野暮だね」に大きな意味があるとすれば、外部者をも巻き込む開かれたコミュニケーション姿勢ではなかろうか。しかしながら、それは「粋」には絶対に到達できない。到達できないから、訪問したくなるのである。京都の雅も、到達できない拒絶があるからこそ、行きたいのである。これを観光誘引というのであろうか。

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受信: 2009年6月 2日 (火) 10時11分

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