44-49番札所
年度末を利用し、愛媛県内子から峠を3つ越えて、四国山中の岩屋寺まで行き、折り返して松山平野まで、3泊4日で歩こうと発心。三宮⇒内子
ところが帰省ラッシュ、ぼやぼやしている間に、JRバス京阪神発松山・内子経由八幡浜行は満席(神戸より6850円)。阪神バス夜行で大洲まで行き(神戸より7000円)、翌朝、大洲から内子に戻ろうかと思ったが満席。阪急バス大阪梅田ー松山ー八幡浜行を、西宮自宅から宝塚インター(6950円)から乗ることにした。梅田乗車よりかなり安い。宝塚インターバス停までは阪急清荒神駅より30分歩くか?
長い山道なので内子から一部路線バスをと探したら、赤字廃止代替行政バスがあった。が、土日休止。歩くしかなさそうである。2泊のつもりを3泊にする。それより、雪になったら?一応、滑り止めは持っているが・・・。そのときは写経でもして帰るか。
お遍路では、過疎地や帰省ラッシュ、天候の急変など、さまざまな状況を体験できるが、その困難をすべて、経験として受け入れていくことで、地域の暮らしぶりや、来訪者に対するおもてなし=お接待に出会うことができる。
バス車内で「娘のところに寄って病院に行きます。お遍路さん、八幡浜のみかんです。どうぞ」「はあ、ありがとうございます」
愛媛県内子町から遍路道は久万高原の44番大宝寺を経て、石鎚山の入口、岩屋寺を目指す。大洲の十夜ヶ橋通夜堂、五百木遍路無料宿、千人宿大師堂などが続く。途中の大瀬集落は、かつては筏で栄え、木造民家が並ぶ。卯之町などの古民家再生を手がけた建築事務所がある。その先、突合集落は、小田川と吉野川の合流点であり、かつては筏の出発点、木材で栄えた。 右端の徳岡旅館は、築130年の松材が黒光りしている。戦時中、材木の徴用があったが敗戦で買い付けてもらえず、戦後の植林で杉ばかりになり、保水力がなくなり、川の水量が減り、筏は消えた。昔は、河口の長浜は、新宮(和歌山県)、能代(秋田県)と並ぶ、製材地であった。今や、松山行のバスが一往復あるのみである。
お遍路では毎回「弟子某甲儘未来際 帰依仏 帰依法 帰依僧」と唱えるが、口先ばかりで心から実行できていない。3年前、44番大宝寺に他の団体に相伴で泊めていただき、朝のお勤めで厳しいお言葉をいただいた。「過日、45番岩屋寺まで往復し遅着した遍路が『疲れた、疲れた』という。なぜ「遅れてすみません」と言えないのか。それでは巡拝している意味がない」と。今回、納経所でそのことをお話しすると、老僧は他界されたとのこと、有り難い一会であったと思い知りました。
※注意(伊予鉄久万とJRバス久万中学校は隣接、どちらかで三坂峠までバス可。そこから谷をおり坂本屋
今回、46番浄瑠璃寺で納経帳を出すと、僧正が座っておられ、「二度目ですか」「はい。以前はクルマ。これではいけないと思い、歩いております」と申し上げると、「それは良いことに気づかれた」と誉めていただいた。宿に貼ってあった「真言宗豊山流のポスター(写真はその一部)」を見ると、まさにその僧正が微笑んでおられる。心より感謝し、翌早朝、外からそっとお勤めをさせていただいた。 僧への帰依も、お遍路の喜びと、冬の朝の境内で改めて知った。
弟子某甲儘未来際 帰依僧
クルマ社会のなかで、地方では公共交通の経営は極めて厳しい。こうしたなか、伊予鉄が頑張っていることは聞いていた。電車・バスの総合乗換検索など、情報サービスはピカ一。歩き遍路で49番浄土寺を目指していると、「電車連絡100円バス」のバス停を見つける。病院前で待っている人の前を通り過ぎたが、次のバス停で30分に1本の低床バスが来た。
ヒョイと飛び乗り「すみません。さっき、通過した遍路ですが、便利なバスが100円であるので、インチキしました」と笑って席に座ると、乗客は大笑い。「伊予鉄は、便利な電車連絡バスがありますね」「高齢者は、このバスで気軽に電車に乗れる、病院に行ける」「伊予鉄は、松山の財産です」
市民から信頼される鉄道・バス会社。伊予鉄は、日本の公共交通事業者のお手本だと知った。
第49番札所浄土寺は、伊予鉄久米駅前の狭い住宅地のなかにある。バス駐車場もお寺から距離がある。乗用車は狭い路地から門前駐車場に入る。
納経所では、賃借している駐車場代のささやかな志納を求めているが、支払わないクルマ遍路も多い。挙句、「看板がわかりにくい」「バス駐車場が遠い」とクレームがつく。なかには、個人の門前にクルマ遍路が駐車し、隣家と争論し住職が呼び出されたり、狭い道に隣家の庭木の先を折りつつ、マイクロバスが無理やり進入することもあったという。年々、クルマ遍路のマナーが悪く、エンジンをふかす、タバコを吸いながら境内に入る、ゴミを置いていく、注意をすれば、居直る、逆切れする…。
クルマは便利だ。体力のない方、時間のない方も遍路ができる。しかし、クルマ遍路が増えるなかで、四国の方々が持っているお遍路に対する信頼感が、今、揺らいでいる。クルマによる個人消費主義、少しでも歩くのが嫌、少しでも時間をとられるのが損、停めるのはタダ・サービスだという主張が横行している。札所と近隣住民の困惑の前で…。
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