続:なぜ大阪人は阪大生に親切なのか?
総長告辞を引用し、思いつきや思いやりの意味を前の記事で述べた。若干、補足。
私は、土木学会の偉い(と本人が思っている)先生から、「思いつきで、いいかげんだ」と、宴席で、面等向かって叱られたことが何度かある。【本当に偉い先生は、そんなことは言わない。むしろ、住民協働のコツを教えてくれとか、感動してそっと表彰リストに載せてくださる】
確かに、文学博士には数値計算はできないし、別に理論があるわけではない。その場で思いついたことを、住民とウダウダやっているように見える。そんな奴が土木計画学会で講演したり、国や自治体の委員として仕事をしているのは、専門家として見るに耐えない「不良」「ええかげん」と映るのであろう。しかし、土木の現状の知識、思い込みだけで解決しようとするよりも、生活者の知恵を集め、それによって協働の計画を「良い加減」で練り上げることは、今、一番求められていることではないか。私にも多くの限界があるように、専門家の偉い先生にも限界がある。限りある人間どおしが、偉い偉ないではなく、いかに世のため、人々の暮らしのため協働して役割を果たし、現場で良い加減を練り上げるかが求められている。私は、大阪大学の専門家の卵に、現場に出ずして企業や役人の善意や(苦しい)限界を思いやることをせず、自分の知識をひけらかし、市民の声を軽く扱う横柄な専門家になってほしくない。CSCDの私の授業を受けた院生は、良い加減のコーディネートできるしなやかな専門家です。官庁・企業の皆様。コミュニケーション力のある大阪大学の学生を、ぜひ採用ください! ありゃ~~? 学生のことを思うと、ついつい宣伝になってしまいました。すみません。
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