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2009年4月14日 (火)

宮田登編『現代の世相ー談合と贈与』小学館

宮本常一「対馬にて」『忘れられた日本人』に、宮本が古文書を借りたいと申し出たら、3日間談義し、世間話、家に寝に帰るなどし、あるとき、古老が「悪い人でもなさそうだし、借用書を書いて貸そう」「それでよろしゅうございます」となった。これを談合という。多数決ではなく、グループ議論も含め(根回し)徹底的に議論するあり方と宮田はいう(14-16頁)。今日のクレームだけはつけて、何も動かない地縁の状況を見るとき、徹底議論で全会一致という民俗は重要だと思う。

談合は共食と贈答によって担保されている。神に誓い、その神の下で食事をともにする(24-25頁)。今の住民組織には、この誓う対象、誓いを確認するすべがない。だからまとまらない。情報公開のために「通信」を全世帯に撒くというのは、一種の「誓い」かもしれない。現代の誓いは神に対してではなく、「交通市民会議」の平場で議論し、相互に誓うものかもしれない。こうなると、全体の意思をまとめあげるコーディネーター、神を依りつかせる神主が必要となる。くるくるバスで私が果たした住民の意思をまとめあげた役割とは、神主役だったのではないかと思いいたる。だから、交通工学研究会の技術賞は、私個人の受賞にせず、守る会と私との協同受賞にしたのだ。ともに受け、わかちあうことが重要なのだ。

民俗学だったから、宮本常一ファンだったから、民俗実践として交通市民会議方式ができたのかなあと、今にして思っている。

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