なぜ大阪人は阪大生に親切なのか?
昨日の記事「学生はまちに育てられる」を書いて、なぜ阪大生は大阪市民に親切にされるのか、『大阪大学新聞』に載った「鷲田総長入学式告辞」を読んで気づいた。
大阪大学は、国立大学の中で唯一、藩校ではなく町人が自らお金を出して教育した私塾:適塾と懐徳堂、それに大正10年林汽船社長林蝶子の私財によって設立された大阪外事専門学校が起源。大阪人は、必要な学問には資金労苦を厭わず、気前が良かった。ケチ=大阪は、YTT(吉本、たこ焼き、タイガース)に矮小化したTVイメージである。気前が良いとは、英語でliberalという。大阪の気前の良さによって、学生らは自由に思考できる。リベラルのもう一つの意味は自由な、そして公平で心の広い である。大阪大学が教養:リベラルアーツ をモットーにしているのは大阪に根ざしているからでもある。
知の枠にとらわれることなく、自由に思考し思いつく、イマジネーション豊かな学生を育てたい。そして、その自由な研究は、人の思いや町の思いを思いやる、歴史の思慮を思いやることにつながる。知の向こう、暖かいまなざしの向こうを、イマジネーションできる学生を育てるために、私は大阪大学の専門家の卵:大学院生を引き連れて町を歩く。
そういうたら、私の解説は、思いつきが多い。どんな質問にも答えられる(深みはともかく?)しかし、町で思いつく、町を思いやる、そして自らのミッションを大阪の町で思い込むことは、阪大教育にとっては重要なことではないかと、確信している。
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