六甲全山縦走路を歩く
最近、運動不足。晴天に思い立って、180円で岡本駅まで行き、山に向かえば何とかなるだろうと、歩き出した。梅林を越えると、ガサガサ音がする、ひょっとすると思い、横に眼をやると猪がいる。ヤバイと思い、手を打ち、こちらの存在を知らせつつ離れる。六甲山では、人家に降りて来た猪の被害が後をたたない。砂防ダムの横、ゴルフ場を越えて森林浴。ハイキングコースは整備され、至る所に地図と行先が表示されている。
いつの間にか雪道となり、山頂近くの一軒茶屋。道路が走っており、クルマでも簡単に来れるが、歩いて登った茶屋の昼食は格別。きうねうどんとカレーライスというでんぷんコンビを食べて、六甲全山縦走路(須磨一の谷~宝塚)の東端を歩く。厳しいアップダウンだったが、冬の山は美しい。急坂を降りて、塩尾寺・甲子園大学を通過。20年前勤めていた職場、センター試験の会場になっていた。そういえば、今年はセンター試験の当番ではなかった。そそくさと通過して、昔、通った急斜面を降りる。ハイキング道のままの厳しい斜度に住宅がある。こういう住宅地は、高齢化するとどうなるのだろうかと思いつつ、宝来橋を渡って駅に到着。阪急電車180円で自宅に戻る。
我々の背後には六甲連山がある。大都市の真後ろに1000m弱の「青い山脈」がある。眺めて良し、歩けばもっと良し。恵まれている。これはいくつもの横ずれ断層で切り立ってできた。100年を越える長い周期で繰り替えす関西の大地震は、淡路島から六甲山に続くこの断層がもたらす。その山裾に、「まさか地すべりは起きないだろう」「関西はエーとこや、台風も来んし、地震もない」と暮らす。そして、齢を重ね、坂を登るのも、自動車に乗るのも苦痛になったときのことは考えない。
震災はそんな暮らしを直撃したのだ。我々の暮らしのありがたさとともに、自然や生物としての我のあり方に思いをはせ、山を歩いた。
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