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2008年11月18日 (火)

天満宮の鳥居から何ゆえクルマが出てくるのか(ブログ練習)

Photo 元民俗学で土木計画に関わる森栗は、欠席の宿題を出した工学専攻Yさんの努力に感激して、以下のコメントをします。
 天神様は、都市においては御霊(非業の死をとげた者が神となり祟りをなす:疫病防止)として祀られ、農村では落雷による水の神として祀られる。前者は夏祭、後者は春祭となる。童謡と通りゃんせは、関所を舞台とするという説(出立は楽だが帰還の際は厳しく調べられるという歌詞)や、埼玉県川越市の三芳野神社や神奈川県小田原市の菅原神社が舞台であるという説があり、共に発祥の碑がある。
 天神祭の天満天神は、前者として有名だが、七つのお祝いという限り、関西ではない。元来、関西には七五三がない。(十三詣り)
ところで、なぜクルマが鳥居の下から出てくるのか。
 実は、この鳥居は、天神橋とならび、川(水)と大阪三郷(天満、北組、南組)の結節かつ、天満宮の参道の入り口である。
本来、人が歩き、神を通じて、人と人、人と水が出会いコミュニケーションする町の結節の場である。
 近代法(道路交通法)では、道は、自由通行となり、強い・速いクルマが、自由勝手に天神様に用がなくても便利な勝手通行にしてしまった。公共財(道)は誰のものであろうか。かつては、「いずくんぞ、王地なきものはなし」(平家物語)神のものであり、鳥居を参道に置くのは当然であり、神に縁のある人のみが通る場であった。ところが、近代以降、公は神ではなく、個人経済活動のものとなり、道は自由通行となった。その結果、人と神がおいやられ、ときに川までおいやられ、道はコミュニケートを奪われた。写真は大阪の公が個人の自由活用に海蝕されたその図である。
 考えれば、川、海、山・・・。かつて、神のもとに公であった近代は海蝕してきた。今また空も、電線がめぐり破壊されている。写真は、傷ついた現代都市のその風景の一端である。
 ただ、参道には電信柱が見えるが、国道は共同溝が設置され、鳥居の表面は美しい。結果として、鳥居の公共性が表面化したのに、通行車両の自由海蝕が下を通る。だから、この写真は面白いのである。いずれ、正義が発見され、参道は電線地中化され歩行者優先となろう。都市計画、土木計画とは、そうした正義の実現方策である。

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