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2008年11月

2008年11月30日 (日)

うどんで国際コミュニケーション

Img_0220_2 大阪を代表する黒門市場に、世界各国から来る来客者に色紙を書いてもらい、コミュンケーションするうどん屋がある。安い、うまい、楽しい。

まちなかに、こんなすばらしいお店がある。大阪ならではのおもてなしではないか。

Img_0222_2コミュニケーションデザイン・センターの都市ツーリズムのまちあるき授業で訪問した。

ありがとうございました。

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山口市のコミュニティタクシー乗換場所

Img_0209_2 山口市阿知須では、乗客が少ないコミバスを、便利で地域にあったきららコミュニティタクシーに変え、路線バスともども、ショッピングセンター正面に乗り入れた。元駐輪場の屋根はバス乗り場の上屋となり、新山口駅ー宇部新川駅間の幹線バスとの乗り継ぎも便利になった。合併前の乗る人が少ないコミバスを、住民主体の組織が、市のサポートでコミュニティタクシーImg_0210 を自主的に計画、運営している。運行のタクシー会社、地元の病院、スーパーなどが、バス停に広告を出して協力している。

 行政負担に頼りすぎると行政が破綻する。タクシー会社の仕事をとってしまう相乗りタクシーを強行したり、バス路線と並行するコミバス路線は、事業者の経営を圧迫する。また、住民主体とはいえ、住民に負担をかけすぎると、続かない。按配が難しい。

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由布院は普通の日本だからスゴイ

Img_0112_2 

金鱗湖は湖畔の温泉からあふれる湯と、神社から湧き出す清水が、朝の冷気と交わる、朝もやのなかにある。

湧水や温泉が豊富な普通の日本こそが、人々が、もっとも求めてやまないものではないか。

普通の風景、由布院。やっぱりスゴイ。スゴイ風景には、世界有数のチェンバロ奏者、Img_0114 そばを極めた名人、素晴らしいアートの演出家・・・。いろんな人が集まる。

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2008年11月29日 (土)

長屋再生と民家で寄席

Img_0066 大阪市阿倍野区昭和町に重要文化財の長屋がある。武庫川女子大の生活学方法の学生さんと一緒に伺った。4軒のレストランに生まれ変わっている。腕の良い元気な若シェフが頑張っている。向かいの大家、寺西家の座敷では、美しい中庭を背景に田辺寄席が開かれていた。天下茶屋・帝塚山に続く、大阪市住宅のレベルの高さに驚いた。

Img_0068   

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2008年11月23日 (日)

2009年お遍路コミュニケーション関連大学院授業の紹介

社会人科目受講の問いあわせもあり、お知らせします。詳細は、シラバス。 キーワード お遍路、巡礼、お接待、世界遺産、観 光

▼交通まちコミュニケーション実 践 論▼受講人員  20名全大学 院生(社会人5名程度)▼中之島センター、現地▼1期集中(6月日曜)

■授業目的■ お遍路交流と徒歩 交通、公共交通活用の交流型観光 に関する基礎知識とコミュンケーションの短期体験 を試みる。

 受講希望者は、件名に「氏名(専攻)お遍路」と書き、受講動機を書いて申し込む。受講許可者のみに4月中に返信する。

※徒歩 交流に関 する「交流ツーリズム実 践 論」を受講することがのぞましい

授業内容 6/7  -④(中之島センター)遍路ツーリズムの現状と議論

6/13 -⑧日帰 り遍路体験(徳 島県鳴門市ー7番ー土成IC

鳴門西SA高松方面バス停9:45集合(予定)

6/21 -  甲山八十八箇所体験(西宮市)

(オプション)5月末土曜(未定)都市研 究院生・社会人交流会(都市住宅学 会 関 西支部大会 )

(オプション)12/20(日)1016時【中之島センター】まちコミュニーション発 表会 に参加

教科書    中山和久『巡礼・遍路がわかる事典』日本実 業出版社、

▼交流ツーリズム実 践 論▼受講人員 20名全大学 院生(社会 人5名程度)▼集中第1期(7月)

■授業目的 四国 遍路は、弘法大師の遺跡を巡る巡礼道である。88箇所の札所を巡る歩くなかで、多様 な人々、風土、遍路どうしのふれあい、人々の提供するお接待により、ツーリズムの本質である交流を学ぶことができる。本授業は、集中的に遍路体験 をすることで、地方都市や農山村の抱える課題、多様な人々の生き方にふれ、個々の専 攻の活かし方、展開方向を模索する一助になる。交流ツーリズムを教 授するのではなく、研 究するのではなく、共同で実 践するなかから、自ずと学び取ろうというものである。

※徒歩 交通に関 する「交通まちコミュニケーション実 践 論」を受講することがのぞましい

オリエンテーションは「交通まちコミュニケーション実 践 論」6/7において行う。

-⑫ 7/18-20(-)  第11番藤井寺⇒遍路ころがし⇒(泊)12番焼 山寺⇒(泊)13番大日寺 予定は、参加者の体調、天気によって変わることがある。

※ 宗教 施設を巡り、宿坊滞在するが、礼拝 等を強要しない。文化システムとしての巡礼の実 態体験から、自由に学んでもらうことに期待している。

※ 現地に行き、観 察体験 を前提としている。23日の遍路体験に必要な旅費等は個人負担である。

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2008年11月21日 (金)

阪急神戸線ー嵐山直通の効果

Img_0228 阪急神戸線から紅葉の嵐山へ行くには、十三、桂で乗換えが必要。渋滞はわかっちゃいるけど、高齢者を伴うには、クルマはやめられない。

 が、クルマは停めるのに四苦八苦。紅葉をゆっくり見れない。逆に、訪れる他の人々にとり、渡月橋のクルマ渋滞は、紅葉鑑賞の破壊者だ。ドライバーの一人一人には加害意識はないけれど・・・。

今回、阪急電車は、神戸線西宮北口駅から嵐山駅まで、直通電車を運行した。高齢者には乗換え無しが便利?とはいえ、鉄道マニアの被写体かなと、関心がなかった。ところが、バギーで幼児を連れたママ友達が連れ立って乗り込む姿を複数組みた。

そうか、高齢者に優しいことが子育てにも優しい。ユニバーサルデザインや!土井勉先生(神戸国際大学:元阪急)はクルマ中心社会から、公共交通や自転車・徒歩を含めた多様なモビリティまちづくりへの潮目が来ていると指摘されるが、確かに、阪急電車にはそんな兆しがする。最近、利用者が増えてきたような・・・。何だか、電鉄職員が元気なような・・・。

沿線住民としては、なんとなく、嬉しい。

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こんな大学院だったらエエなあ・・・/大学院改革

書を捨て、街に出よ(寺山修司)

学生を街のどきどきわくわくに触れさせる、フィールドワークを中心とした大学院教育が展開できたらなあと、個人的に思っている。

フィールドワークは、地域のSR(ISO26000のガイドラインによるすべての組織の社会責任)に従い、USRとして、関西ニーズ、大阪の政策と連携してすすめるべきだ。

とくに、まちなか(中之島センターや大阪駅北ヤードなど)で、社会人高度職業人教育と連動してすすめるべきだ。単なる夜間大学院ではなく、企業マンのサバティカルやキャリアアップと結びついたプログラムを展開できたらエエなあ・・・。EUのエラスムス計画と連動して半期留学した単位がそのまま認められるとか。

たとえば、社会学、経済学、工学、情報学、医学、法学、理学、心理学、文学などのジャンルを越えた学生・教員が、地域のみなさんと一緒になって地域課題を解決しようとするプログラムで、そのプロセスで、異分野間のコミュニケーションデザイン力をつけ、「まちづくりデザイナー」なるキャリアを提供する。昼の現役学生の授業や、環境リスクマネージメントなど他のキャリアも取得できる1年制である。

まとまった時間がない人には、夜間、土日、夏季冬季集中で単位が2年で取得できるようになったら・・・

わくわくするような大学院夢想だが、実際には、昼も夜も土日も働く教員の負担をどうするか、北ヤード教室確保の見込みはと、糾弾されそうだが、夢がなくては、教育はできない。

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2008年11月19日 (水)

鈴木毅理論を我田引水したソーシャルキャピタル狭小論への批判

鈴木 2000「人の『居方』」『JKKハウジング大学校講義録Ⅰ』小学館スクウェア

鈴木毅 2001「都市居住における個人の生活行動空間」『JKKハウジング大学校講義録Ⅱ』小学館スクウェア

を読んだ。鈴木のテーマは、「居方」。景観とプロクセミクス(人と人との距離・配置と関 係性 byエドワード・ホール)のあり方全体を対象とし、建築計画を考える(鈴木200054-56)のが、専 門だ。鈴木は、現代の都市計画が、単純な祝祭と日常アメニティとの組み合わせになりがちなことを批判し、都市の居場所とは何か?を問う。つまり、他者が居合わせる場としての都市像を考えようとしている(鈴木200063-64)。

そして、関係と認識の生成装置としての都市=都市に住む「てごたえ」(鈴木200066-67)こそが重要なのだと指摘する。では、どのような場に、我々はてごたえ=居場所 を感じるのか。鈴木は、遮蔽縁(しゃへいえん)【ギブソン「生態学 的視覚 論」】により、行動による流れる環境を認知するなかでの「てごたえ」=「奥 行きある見え」=景観の階層性を認知できる場 であると、結論付けている(鈴木200067-68)。居場所は、日常の世界と、別世との対 面の場にある。個室的空間でもなく、アミューズメントでもなく、その小さな接触点に居場所がある(鈴木200060)と鈴木はいう。ヤスパースのマージナルマンを出すまでもなく、卓見である。

そうなんだ。工学 や土木の分類・分析指標は、あまりに単純であきれかえることがある。鈴木はこの点も、見事に指摘している。たとえば、「生活の豊かさ指標」というのがある。項目は、住む、費やす、働く、育てる、癒す、遊ぶ、学ぶ、交わる、の8項目である。ところが、交わるの指標には老人会の加入率はあるが、若者の社会活動団体も入れても良いのに、「他に使える適当な指標がない」という理由で、入れられていない。指標のとりやすものだけで、交わるを評価できるのであろうかと鈴木は指摘する。また、公民館の数で「交わる」を評価している。しかし、公民館は、多様な人々が、交わり遊び、ときに学ぶところである。ところが、「生活の豊かさ指標」では、公民館を交わり指標にしかいれていない。鈴木は、特定施設を特定機能と結びつけて単 純化していると批判する(鈴木200146-48

。空間の多層的な見えを動態的に考察する鈴木からすれば、このような単 純化は我慢できない。そして、鈴木はJジェコブスを引用する。「立派な暮らしの価 値をおしはかるいくつかの試金石(学校、公園、小奇麗な住宅、あるいはそういったもの)が、すぐれた近隣住区を作るのだと考えられる風潮がある。もしこれが本当なら、人間の生活なんて何と簡単なものだろう・・・」(鈴木200153)と。

 近年、ソーシャルキャピタルと称する単 純指標を数 え上げ、何とか説 明しようとする計画 学の論文を見るが、制度と経 済 のなかで、ダイバシティと動態のダイナミズムがうごめく多層的現実 をみつめる鈴木やジェコブスの視点に学ぶ点が多かった。

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2008年11月18日 (火)

お遍路コミュニケーションの評価

Img_0053_2 1 状況
苦し紛れに作った大学院共通科目「お遍路」が、予想以上の人気と、想像を越えた集団コミュニケーションの盛り上がりを生み、相互の関係をさらに展開しようと「アフターお遍路」コミュニケーションサイトが、自主的に立ち上がろうとしている。
参加者は16名、うちベトナム人1名、ドイツ人(ゲスト)2名であった。プログラムとしては、
①春にオリエンテーションミニ遍路+自宅カレーパーティ
②春連休に、日帰り遍路体験
③秋に2泊3日の区切り遍路
を行った。カレーパーティでは、十数人分のカレーを作るのは大変であったが、皆、喜んだ。春の②に出れないという学生(理D)が、強行に秋を主張した一方、秋は留学 するという学生(工M)もいたので、どちらも実施した。いやはや大変であった。
しかし、どれも成功裏に終わり、学生たちの満 足を得た。なかには、2泊三日のお遍路の最後に「寂しくなる」ともらす学生が出るほどであった。研 究の先達である教 育者としては、学生たちの喜び、達成感にふれて微笑むのみならず、なぜそこまで学 生が満 足できたのか、いったいこの授業は何をもたらしたのか、単に楽 しい、コミュニケーションできたというのでなく、なぜコミュニケーションできたのか、なぜ楽しかったのか、どんな効 果があるのか、大阪大学の専 門家の皆さん(大学院生)には、興奮する自己を冷静に見つめるもう一つの自己を育てていただきたい。そういう意味で、今回は教 員がレポートを書く。

2 授業の趣旨
2-1 お遍路の意味
 人とは、存在の側面と関 係の側面を生きている。ともすれば、高齢化率、社会 資産、細胞の集合など、人間存在のみが議論され、もう一方の関 係としての人間を見失いがちである。
 後者の側面にたてば、人とは他者と出会う瞬間、多様 な瞬間をアンサンブルする場を生きている。その知性は、前者が提供する情報知というよりは、アート的感動をともなう情意知、ダイナミックな知である。
 前者が線形システムだとするならば、後者:関 係の側面は非線形システム(カオス)であり、なぜか、非線形システムの全体は、部分の総 和よりはるかがなく、延藤もどきである。折口信夫によれば、民俗芸能におけるもどきとは、真似ることであり、もどきこそ、本物よりも本質を照射するという。ときに「場面展開」としての笑いを含むもどき・・・。本論は笑いの場面展開により、真 実 を意図した贋作である。】
多様な学生が集まった期待や、主催者の教員の能力をはるかに越えた成果が、得られて「しまった」。
 なぜなら、そこでは、命令や法ではなく、内 発 的なルールに従って秩序の生成がなされたからである。
 こうした非線形カオスは、お遍路という自由デザインのコミュニケーション文化を通じでのみ可能であったのかしれない。お遍路は、
ⅰ)統一的な宗教 的作法が明確ではない、個人の自由にまかされている
  ex.88箇所連続しようが、区切り打ちにするかは自由である。また、歩こうが、自動車にしようが、いやそれどころか、読 むお経の順列・中身についても、かなりばらつきがある。
にもかかわらず、
ⅱ)弘法大師の開いた場での、人と人とのコミュニケーション、人と自然とのコミュニケーション、人と暮らしの場・風景とのコミュニケーションが、立ち現れる
システムである。お遍路という総 体が、世代を越えて永続 し、各個人のなかに再生産され、社会的な複雑 性を再生する。これを文化という【注2】。
【注2:エドガール・モラン著、大津真作訳(2006)『方法5-人間の証明』法政大学出版、18頁】
に大きい【注1】。
【注1:本論は、延藤安弘「「游歩 謀 賛 」としてのワークショップ」『日本文化の空間学 』(2008)20-50頁、東信堂、に学 び、真 似る。本論の根幹はオリジナリティ
文化への意思「お遍路をしてみたい」は、実は、宗教ではなく、個人的な価 値実 現の意思なのである。

2-2 歩きの意味
 お遍路体験は、歩きである。文化を歩くとはどういう意味を持つのであろうか。
 フランスのラポルト精神病院のジャン・ウリは、「重要なのは循環すること。やりたいことをさがして、うろつくこと」と述べている【注3】 。
【注3:三脇康生(2006)「詩的ロジックとは何か」『日常を変 える!クリエイティブアクション』フィルムアート社、132-139頁】
巡る(循環)ことで、他者と出会い、in-pressions を受けて、inter-action を起こす、そういう雰囲 気がお遍路にはある。ベンヤミンは「都市に迷い、迷うなかで陶酔 する遊歩 者のもとにたちあらわれる都市のもう一つの現実 」と表現し、遊歩 する【注4、注5】  【注4:桑子敏雄(1998)『空間と身体―新しい哲学 への出発 』東信堂、5-18頁】
【注5:ホイジンガーは、これをホモルーデンスと表現した】
wanderingなかでのwonderingに着目している。人に出会い、自然環境に出会い、生活の風景に出会うなかで、面が向く=趣くのである。
 お遍路の陶酔(昼食をとれなかった陶酔、直線階段での気力減退での陶酔、相互の声掛け合う陶酔)は、風にのって共に歩く人と、接待する土の人とのコミュニケーションで最高潮を迎える。学 生は風の人として空間共通体験 のなかでの自由対 話で、状況のコミュニケーションデザインを歩 きながら描き、無意識のうちに、強い思考を経 験 することができた。
 人は、間inter に存在esse することで、興味interestを持つ。面白いとは、面が暗い局面から、新しい白(しら=生まれ変わり)を発見する瞬間であり、こうした現場での実 践 知(プロネーシス)を経 験 することは理論知(ソフィア)とは異なる思慮(プルデンス)を導くのである。お遍路は、面白い。面白くなければ、思慮は生まれない。
「若者よ。書を捨て、町に出よ」そして、思慮にふれたならば、再度、書を拾ってみるが良い。そこに、思いもつかなかった「面白い」があるから・・・。

2-3 知としての遍路
 20世紀の科学は、存在を機能で分類し、切り分けるzoning することでなりたってきた。しかし、その結果みえなくなってしまったものも少なくない。科学にはもう一つあり、多様な関 係性を生命的文脈で読 み込 み、カップリングして融合することもまた、重要である。専 門家はobserver を越えて、participatorとして、専 門知と生活知とを融合させて、創発しなければならない。
 融合は、心象impression したことを語り合うexpression してこそなりたつ。
情報による説 得、ディベート=争 いではなく、共通の場における情意により、笑い・想像力・感謝が響きあい、納得が得られる。仏 教 的に言えば、図 のように説 明できるのであろうか。

図 概 要

 数 値データー⇒説得⇒了解=智慧で(一時的行動、非安定行動)をうながす
       説得⇒納得
    協働⇒響感⇒納得=慈悲で(日常変化、継 続 安定行動)を導く

2-4 仏 教 としての遍路から得ること
無罪の七施
 慈眼施、和顔施、愛語施、捨身施 、心慮施 、牀座施 、房舎施、十善戒
お接待とは、この考えから出ている。学 生に対 して、私は、いつも接待できているか、点検せねばならない。
一方、お遍路で誓う言葉に十戒がある。何度、唱えても難しいのであるが、声に出して誓うことは重要である【注6】。
【注6:当 然ながら、公立教育においての宗教 強 要は避けねばならないが、個人として、文化として、そうした誓いがあることにふれることには、意味があると思う。】
   不殺生・・・むやみに生き物を傷つけない、
   不偸盗・・・ものを盗 まない、
    不邪婬・・・・男女の道を乱さない、
   不妄語・・・・・うそをつかない
     不綺語・・・・無意味なおしゃべりをしない、
      不悪口・・・乱 暴なことばを使わない
     不両舌・・・筋の通らないことを言わない、
      不慳貪・・・・欲深いことをしない
     不瞋恚・・・・・耐え忍んで怒らない、
      不邪見
ほとんど誓えない言葉を、88箇所×(大師堂+本堂)=176回、大きな声で唱えるのは、苦痛である。しかし、声に出して言い、歩いて巡り、人に出会い語り合う。その身体と心の相互作用の中にこそ、大きな知の基礎があると私は考えるのである。

3 何をめざすのか
 研 究者よ。何を目指して研 究するのか。研 究らしき格好をつけて、わずかばかりの職位と俸給を得るためやっているのか。些少のカネのためとは言いながら、学生相手に真 理らしきごたくを説いているのか?
 日本文化研究を開拓した柳田國男は言う。民俗学とは「世のため人のためのルーラルエコノミーである」と。実 際の民俗学 がそういう方向をとれたかどうは別として、文化の深みから、経 世済 民のため、エリア・マネージメントを考えようというのであるから、見あげたもんだよ、屋根屋のふんどし【注7】
【注7:テキヤの口上のひとつ。映画「男はつらいよ」で寅さんが良く使う。】
<もとい。綺語悪 口でありました>
 ベルグソンはこうした現場におけるemergence創発 のデザインを、創発的進化emergent evolutionと表現し、場における生命のはずみによる創出プロセスのデザインに関心を寄せている。
 もし本講義が成功したとするならば、それは単 に仲良くなっただけではない。研 究室や倶 楽 部のヒエラルキー的な二分法を超え、多様 な専 門家の垣根を越えた水平的関 係をつむぐ、理論知を越えた実 践 知の入り口に大阪大学の大学 院生たちが立ったということである。
 なかには、狭 義のカップルもたちあらわれる可能性もあり、「出会い系実 習」とも揶揄されそうであるが、狭 義のカップリングは、実 践 知としての広 義のカップリングの延長上の派生であり、それも否定するものではないと考えている。

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天満宮の鳥居から何ゆえクルマが出てくるのか(ブログ練習)

Photo 元民俗学で土木計画に関わる森栗は、欠席の宿題を出した工学専攻Yさんの努力に感激して、以下のコメントをします。
 天神様は、都市においては御霊(非業の死をとげた者が神となり祟りをなす:疫病防止)として祀られ、農村では落雷による水の神として祀られる。前者は夏祭、後者は春祭となる。童謡と通りゃんせは、関所を舞台とするという説(出立は楽だが帰還の際は厳しく調べられるという歌詞)や、埼玉県川越市の三芳野神社や神奈川県小田原市の菅原神社が舞台であるという説があり、共に発祥の碑がある。
 天神祭の天満天神は、前者として有名だが、七つのお祝いという限り、関西ではない。元来、関西には七五三がない。(十三詣り)
ところで、なぜクルマが鳥居の下から出てくるのか。
 実は、この鳥居は、天神橋とならび、川(水)と大阪三郷(天満、北組、南組)の結節かつ、天満宮の参道の入り口である。
本来、人が歩き、神を通じて、人と人、人と水が出会いコミュニケーションする町の結節の場である。
 近代法(道路交通法)では、道は、自由通行となり、強い・速いクルマが、自由勝手に天神様に用がなくても便利な勝手通行にしてしまった。公共財(道)は誰のものであろうか。かつては、「いずくんぞ、王地なきものはなし」(平家物語)神のものであり、鳥居を参道に置くのは当然であり、神に縁のある人のみが通る場であった。ところが、近代以降、公は神ではなく、個人経済活動のものとなり、道は自由通行となった。その結果、人と神がおいやられ、ときに川までおいやられ、道はコミュニケートを奪われた。写真は大阪の公が個人の自由活用に海蝕されたその図である。
 考えれば、川、海、山・・・。かつて、神のもとに公であった近代は海蝕してきた。今また空も、電線がめぐり破壊されている。写真は、傷ついた現代都市のその風景の一端である。
 ただ、参道には電信柱が見えるが、国道は共同溝が設置され、鳥居の表面は美しい。結果として、鳥居の公共性が表面化したのに、通行車両の自由海蝕が下を通る。だから、この写真は面白いのである。いずれ、正義が発見され、参道は電線地中化され歩行者優先となろう。都市計画、土木計画とは、そうした正義の実現方策である。

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