2016年11月 8日 (火)

ストック効果と社会的共通資本に対するコモンセンス

 宇沢弘文は社会的共有資本とは 自然、制度、インフラ の三要素からなると指摘し、それを認識するコモンセンス を説いている(宇沢「社会的共通資本 の論理 」)。 「社会的共通資本 の論理」では、自然破壊としての水俣病、温暖化。制度資本(教育、医療、金融)。自動車の社会的費用や都市など複合インフラ。この3つの課題が論じられている。自然や制度、都市を社会的共通資本として守ることを説いている。
 一方で、高速道路などに関して、その建設の効果を、計測できる効果(時間短縮、経費削減、事故減少)の三便益のみで計上することが通常である。しかし、効果の数値計測しやすい一部だけを取り上げて評価するだけでは、複合的な自動車の社会的費用を自動車が十分に支払っていないのではないかという宇沢の疑問には答えられていない。また、国民も納得していない。ストック効果をどう表現するかは、今日の道路政策の大きな課題である。
 自動車の社会的費用のように、インフラのマイナス効用を議論することも重要であるが、一方で、我々は既存インフラを所与として考え、社会的共有資本として正当な評価を忘れがちでもある。インフラは、誰かが勝手に用意するものであって、良き点については所与(当然)として意識しない傾向がある。
  計測できない社会的共通資本に対するコモンセンスを発見することも、一方で重要ではないか。複合体である地域生活全体を素手でまさぐるようなコモンセンスの考果が重要だ。高速道路のストック「効果」ではなく、ともに考えるプロセスの共有=考果が重要である。
    1776年に「コモンセンス」を書いたトマス-ペインは、ワシントン、ジェファーソンなどが議論する大陸会議で、小さなイギリスがアメリカを支配することがおかしいと問題提起している。数値ではなく、論理でおかしいと議論し、フランス革命の意味をコモンセンスとしてアメリカに伝え、議論を起こした。
 インフラの価値を所与と考え、共有できない国民に、数値では示しえないコモンセンスを議論することが重要ではないか。数値計測しやすい一部だけを取り上げるだけのストック効果とは異る説明は重要だ。インフラに対するコモンセンスの呼び起こし、議論する。ストック効果とならんで重要なのは、生活者とともに考える「ストック考果」ではないか。三便益のみならず、「ストック考果」のコモンセンスを議論することこそが、今、求められているのではないだろうか。

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2016年9月22日 (木)

ボランタリー経済、自発する公共圏、信頼と創発、ブリコラージュ、会所、結、講、座、連、わらしべ長者、鉢をまわす、持ち寄り・持ち前,つながるカフェ,ボランタリー経済の誕生,

1 ボランタリー経済の登場
■まちづくりには、「まちの魅力発見・発信」という、楽しめながら取り組める要素と、「合意形成」「利害調節」というゴリゴリ進めていかなければいけない要素とがあります(山納2016、P62)。都市計画の個別計画(ここでは、街づくりとよぶ)は後者であろうが、ソフト事業や経済の創発(ここでは、まちづくりとよぶ)は前者であり、ここでは前者を対象とする。
■「持ち寄り」
伝統的コミュニティでは、情報の独占・秘匿ではなく「持ち寄り」があり、個人の「持ち前」が村中で共有された。近代は、組織による知識の収奪・秘匿による、利己的利益最大化をめざし、こうした弱いシステムを壊した。しかし、現代のネットワーク社会では、知識のシェアウェア(「持ち寄り」)が発達し(金子他1998、p.p.10-11)、そこにイノベーションの可能性がある。
シェアウェア経済は「継続的な関係を保つに値する相手を選別する仕組み」「つながり」の継続で経済を成立させる仕組みである(金子他1998、p.p.50-53)。
■パートナーシップの登場
人間の行動には、
①利己的行動(市場経済システムの適者生存にもとづく)
②利他的行動(ゲーム理論の相互作用や協力関係にみられるような)
がある。生物進化では、多様性を維持するのは、①利己性、②「相互利益関係」(相互編集・共生)の双方は二律背反しない。そうした多様性のなかでパートナーシップによる進化がおこる(金子他1998、p.p.166-178)。
 対話とは違い、ズレ、ゆれを認識し、相手のみならず自己に問いかける、相互の間を埋める編集作業である(金子他1998、p.p.377)。コミュニケーションによる編集の結果、パートナーシップが生まれる。
■経済システムを動かしているもの
市場経済は複雑骨折し、市場の失敗を忌避する福祉国家論と、国家の失敗を避けたい小さな政府論との間で右往左往している(金子他1998、p.p.8-12)。だから、かつてほど経済予測は信頼されていない。
経済システムを動かしているのは、包括的な知識とか統計的に集計された(著者補足:近代の)大きな知識(による市場経済システム)ではなく、社会のさまざまな場面に従事している個々人が、それぞれ不完全なままに、お互いに矛盾するものとして分散的にもっている小さな知識である(山納2016、p172)。大きな知識は、組織や行政の威信による信用に担保されているが、今や、その維持は難しい。分散的にもっている小さな知識は、連携による信頼でなりたっている(金子他1998、p.p.77-74)。
政府は「信用担保」「妥当性確保」をし、民間が小さな知識の編集によって信頼醸成、サービス創造をおこなう。政府は信用や妥当性のために、情報公開・共有、評判システム(モニタリング)、メタルールの設定をおこなう(金子他1998、p317)。
その個別的分散的知識の相互編集が、コミュニケーションである。
■ボランタリー経済とは
 個別的分散的知識の相互編集による経済がボランタリー経済である。それは
①新たな経済文化の動向のことで、その動向はボランタリーコモンズ(共有知、自発する公共圏)領域でおこっていく。(ボランタリーコモンズは「共有地」であり「共有知」)
②多様な財が持ち寄られ、共有され、編集されていく、その「つながり」がもたらす価値生成のプロセスそのもの
である(金子他1998、p.p.14-40)。
■ボランタリー経済の必要性
市場経済システムや強制力による執行に裏打ちされた強い意思決定システムは、限界に来ている。それよりも、自由な意思が関係強化を求め、間世界をひろげる「弱さを内包するフラジャイル(弱さ)なシステム」が必要なのだ(金子他1998、p.p.36-40)。
■ボランタリー経済の手法
間世界をひろげる連鎖交換は、藁しべ長者(金子他1998、p390)にみられるような、おうむ帰しによる対話法が、有効である(金子他1998、p.p.179-183)。また、信貴山縁起物語にみられるような、都、村、山、個々に異なる富概念を外部知識者(山:山岳宗教者)が編集し、流通イノベーションを起こしている。外部知識者による編集は、鉢という道具を使い、お鉢を回していた(金子他1998、p.p.392-396)。
レヴィストロースは、間世界をひろげ物語を作る人を想定している。物語を作る人は、 ブリコラージュ(寄せ集めの器用仕事、臨機応変)によって、当事者であるかのごとき動的な視線を導入している(金子他1998、P377)。
 間世界をひろげる連鎖交換(お鉢をまわす)のための手法には、おうむがえしと、外部知識による鉢まわし、ブリコラージュが重要なのである。みんなでつくるあり合わせのブリコラージュこそ、クリエイティビリティや生産性があがる創発モデルになる(山納2016、 p177)

2 日本中世にあったボランタリー経済共同体
 日本には多様な自発的社会組織があった。外部の「弱者」であるネットワーカー(漂白者・遊行者)が出入りするボランタリーな共同体があった。この共同体は、情報に敏感、経済に敏感、娯楽に敏感であった(金子他1998、p.p.216-221)。
①会所:コーヒーハウスや茶の湯のようなクラブ=サロン型のしくみ(広い意味でのボランタリーなコミュニティ)が、経済と文化を同時に創発してきた。武士・禅僧の茶の湯による会所や、町衆(地下)の会所、納屋十人衆などはサロン型合議であり(金子他1998、p.p.114-116)、好み(金子他1998、p118)によって運営され、車座、寄り合いによる水平の合議による編集をしてきた(金子他1998、p117)。
 衆議による権力との対立があっても、衆議和合を基本に結束して対処した。
②結;共同体ごとの生産性・流通性に結びついた多様なサービスを用意した相互援助システム(フルーツバスケット)。短期の等量労働力の交換的な水平契約である。「知識結(外部の善知識を入れる)」こともある。構成員の活動の多様性を保証し、労働とともに神や物語、芸能があることで、共働の不平・不満を回避してきた(金子他1998、p.p.221-225)。
②講;共同体の不確実性に対処する(救済)ために議論した。山林・海洋資源保全のための山の神講・海神講があった。頼母子講、無尽など拠出しあった資金を用した利益で保険・貸付機能を持つ講もあった。
同業組合の講や、勧進(寄付)のための講もあった(金子他1998、p.p.225-231)。
③座;祭祀共同体からの発生し、全員にロールがあり座が決まっていた。神事の後に直会(共食)があった。神事の座が惣村の座になることもあれば、産業ごとの座、芸能の座などへと発展した。惣村では「衆議」の決議で「公」として発言・交渉し、有事には戦闘体制にもなる。(金子他1998、p.p.232-239)
④連:同好のネットワークであり、評判で評価された(田中優子『江戸はネットワーク』)

3 ボランタリー社会のつくり方
コモンズのゲーム(囚人のジレンマのような課題)は、何らかのルール(自生した規則性=制度感覚・もてなし=ホスピタリティ)とロール(自発的に割り振られた役割性=組織感覚・ふるまい=パフォーマンス)とツール(交流のための道具性=メディア感覚・しつらい=デバイス)によって、突破された。こうして自発的に活性化する新しい社会運営システム(金子他1998、p.p.139-152)が可能となる。
 これを、住民協働のまちづくりに則していえば、誰でも受け入れるオープンな場 と、住民・専門家・行政など個々に役割をはたすこと と、地域全員に伝えるメディア という理解もできる。
ニータ・ブラウン、ディビッド・アイザックス「ワールドカフェ」によれば
多くの新しいアイデアや社会的なイノベーションは、カフェやサロン、教会、リブングルームなどでのインフォーマルな会話を通じて生まれ広がっていった・・・カフェ的対話は人間社会における知識共有や、変革、イノベーションがおきるときの深くいきいきとしたパターンが現れている小規模なレプリカだったのではないか(山納2016、p168)
 このような、自発性にもとづく脆弱な魅力(知財)を編集する作業は、創発や創発するためのつながりづくり(金子他1998、p.p.164-164)に役立つが、総合的なまちづくりでは、おおきな場面展開(イノベーション)をもたらすものとして期待される。
 
金子郁容、松岡正剛、下河辺淳『ボランタリー経済の誕生』実業の日本社、1998年
  山納洋「つながるカフェ」学芸出版、2016年

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2016年9月20日 (火)

宮本常一、酒と歩み寄り、篤農家、そしてバラバラに出稼ぎ

宮本常一に酒に関した文章がある。「異民族が少なかったから、日本人は自分で喋れない、酒の力を借りる。落語・講談の環実に語らせる。だから、会議や討論をしない。異なる意見の歩み寄りが大事だった(宮本常一著作集15『日本を思う』154)」
 良いかどうかは別として、理詰めだけでは日本の社会は動かない。納得いって、歩み寄ることが大切だった。その歩みよりは篤農家がリードしたと、宮本は考えていたようだ。
 篤農家は技術者であり経営指導者であり、教育者であり、郷党のなかにあった。しかし、S23の農業改良助成法による農業改良普及員になると、経営ができず、篤農家は沈黙した。補助金がで人々を誘った。こうして、自分で考える自主性、支えあう力を失った。(宮本常一著作集15『日本を思う』245)
 このようにして、歩み寄るリーダーを、日本の村は失い、バラバラと出稼ぎするようになる。その様子を、宮本は「出稼ぎ貧乏」として記述している。
 岡山県奈義は名神高速(の工事)に600人出た。(工事出稼ぎによって)夫婦別居となる。すると、飲酒、博打、女の味が出る。役場近くの30戸のうち7軒が飲み屋である。出稼ぎに行くほど貧しくなる。
 食管法で(農家が)管理され、35年頃から、最初、鶏肉の買占めがあり、次に豚肉。S44年から自主流通米が入ると、コメも三井、三菱が酒米を買いあさる。伊藤忠は米菓用もち米、丸紅飯田は、米菓・ビール用屑米を買いあさる。挙句、海外との競争。独立独歩、村の自主性などあろうはずがない。(宮本常一著作集15『日本を思う』271-272)
と、宮本は書いている。
 徳島県阿波市の山中でも、農家の老人から、同様の話を聞いた。
戦後に、それ乳牛だといって、補助金でサイロを建てたが、酪農では食べていけなかった。今度はバイオマスだという。施設は作ったがうまくいっていない。結局、子どもは麓におりて、会社勤めをしている。

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2016年9月17日 (土)

墓と位牌の継承・断絶に関する合意形成(15/02/15修正)

T家では、30年前、姉妹の妹のつれあいを養子T.Sとし、田舎の墓5基、位牌・仏壇(真言宗)、神棚を当主T.Suが守ってきたが、30年後、死亡した。
① 養子T.Sは、当主T.Su葬儀の後、真言宗檀那寺に「祭祀・維持困難として、大阪一心寺納骨(浄土宗:無宗派受入・全骨1.5万円、練り合わせ骨仏とする)を検討していることを伝え、T.Suの火葬骨を自宅に持ち帰り、四十九日法要は檀那寺は遠いのでと、ペンディングとした。
【家・仏壇・墓継承を前提としている檀那寺に、墓ではなく無宗派納骨の意図が伝わりにくい。が、苦悩を公開、共有することはできた】
② T.Sは、つれいあい(元真言宗)と相談の上、つれあいが懐く浄土宗・真言宗の違和感を推量し、墓じまいにともなう5骨壷を納骨(全骨)としてHPから高野山持明院納骨(10万円×5柱)を検討する。
③ 檀那寺から手渡された書類に「(地域の)8ヶ寺高野山供養塔納骨申し込み3万円」を発見。T.Sは、檀那寺に、田舎での四十九日供養、8ヶ寺高野山供養塔への全骨納骨を電話で申し入れ、事前相談を申し入れる。
【家と墓をセットで考える檀那寺は、分骨による高野山納骨を前提としているので、全骨納骨の意図が理解できない】
④ 事前相談の前に態度を確定したいT.S夫婦とT.Su未亡人は、高野山奥の院に行き、納骨の可否を相談する。⇒「分骨3万円が前提で、全骨納骨はない」との返事。
⑤ ②③④「奥の院では全骨納骨できない事実」を前提に、高野山奥の院茶処で家族で相談した結果、
 ・四十九日は檀那寺に執行をお願いする
 ・墓じまい、位牌性根抜きの後、すべての骨を分骨し、喉仏等は(地域の)8ヶ寺高野山供養塔に分骨納骨する
 ・その他の全骨は、一心寺に納骨する
 □その方向で、檀那寺には面談して理解を求める
                       とした。
これを、交通まちづくりに即していえば、
①は、当事者(利用者)の意向を情報公開・檀那寺(事業者)と共有化した
②では、当事者共同者間(住民間)のおりあいを確定した
②+③ データを集める
④ 現地でヒアリング。全骨不可というトラブル臨床状況
⑤ 現場の絶望の緊張感のなかでの、方針・対処・工程の合意形成
その上での、檀那寺(事業者)との交渉

これって、私のことです。合意形成づくりの勉強してきて、その手順が自分の家族の課題解決の合意形成に役立った!

 

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2016年9月16日 (金)

墓じまい、仏壇とじ、位牌 高野山と一心寺(修正追加)

 個人的なことですが、近年、家族に不幸が連続し、夫婦でその対処に翻弄されました。福山市駅家の妻の生家から、妻の母87歳を迎え、やつれた状況から、最近、やっと生気を取り戻しました。
 経費は極めて軽微となりました。離檀料200万円、納骨30万円などという世界とは、まったく異なる、故郷ととのコミュニケーションを残した形で、家族の誰もが理解できる形ですすめることができました。
 妻の故郷の墓地の墓じまい、都市での墓地または集合納骨、位牌・仏壇、屋敷神をどうするか。これまで、結婚にあたって妻の戸籍に入り、30年余、悩んできた問題を、夫婦で話し合い、一気に解決しました。ついては、これまでの経過を報告します。
 他にも悩んで居られる方がいると思います。もっと大変な介護を抱えつつ墓問題に悩んで居られる方もあると思いますが、少しは参考になるかと、公開します。
墓じまい、仏壇とじの工程表
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改葬申請書
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納骨のご案内(一心寺)
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2016年8月 9日 (火)

蟲明先生にお話を伺う(解釈意訳)

住民主体に道路計画全体を投げてしまうやり方は、妻籠や彦根の先例があった。彦根のキャッスルロードの計画が紛糾したとき、あるプランナーが「そこまで住民がいうなら、何も決めず、白から住民がやったらよい」と住民主体に計画を掘り投げたそうです。住民は「そんなこと言われても」と困るが、「わしはプロや。知っている知識で支援する」としたそうです。
 それでも、住民は「市から計画づくりを受託してるんやから、お前の計画を押し付けてくるんやろ」とかんぐる。そんなとき蟲明先生は「市とは住民へのお手伝い契約や。想定図面なんかない」と言い切る。
 とはいえ、契約は「
課題設定、整備方針、計画、住民参加研究会」となっているが、 必要に応じて住民参加研究会を充実させることができるようになっている。こんな柔軟な計画は随意契約でないと難しい。
 計画だけではなく事業でも、
行政は事業をするなと、蟲明先生は考えている。米国では公的土地を提供し民間で売り上げを上げてもらえれば、消費税だから、市の財政に貢献する。だから民間に任せられる。ところが日本は固定資産税だから、最初から儲からない物件でも、国の補助金でもあろうものなら公的投資してしまう。だから、行政が先に絵を画いてしまう。だから、住民の前に出すともめる。
 こうしたなか、住民主体に任せ、行政用語を通訳できる、制約条件を通訳できる、いわば介護保険のケアマネージャーのような役割が大切。実際のまちづくりには、交通も植物も経済も、多様な知識が必要となる。
 住民を賢くするために、多様な専門家に問いをたてる、もし自分がわかっていても問いをたてるコーディネータが大切だ。なかでも、本当の専門家は行政マンだ。行政に問いをたてることが重要だ。
 マンションでは修繕積立金、共益費で一緒に考えねばならんことが多々ある。マンションこそ、住民主体で管理をやったらやったら良い。

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2016年8月 7日 (日)

住民主体と民間主導 蟲明眞一郎

ひきつづき蟲明眞一郎先生の講座から。 

「平成23年度の『地方財政白書』によると、普通建設事業費のうち都市計画費すなわち街づくり事業費は、平成11年から平成21年までの10年間で4割以上減少」している。「都市計画事業では土地費用はちょうど1/3」になるので、1999年にPFI法が制定されてから、「特定目的会社(SPC)というものを設立し、それが資産を買い取り、その証券を小口化して、一般から資金を集めるという手法」がひろがった。この肝は、「民間企業に自由に考えてもらえれば、組合せとアイデアによっては事業費に倍以上の開きが出ることもあり得る。そういう提案募集をすること」なのだが、役所のなかには持ち出し予算がいらないからと、仕様書を決め込んだ奇妙なPFIもある。「資金だけなら、PFIより市債の方が利息がずっと安い」と蟲明先生は憤る。 

 さて、こうなると「住民主体と民間主導をどのように調整するかが課題になる・・・今回、エリアマネジメントの制度を考えてみて、これからの街づくりでは、住民が、それらを専門家や民間にどれだけ委ねられるかが成否の分かれ目になる」と述べておられます。 

 そのひとつの答えが、神戸フルーツフラワーパーク大沢だと私は思っている。神戸市が定期借地を設定し、地元の3社が連携企業を作り、プロポーザルで受託し、自分たちの資金で道の駅を作っています。付近は休日にはクルマの渋滞が多いので、隣接するアウトレットと道の駅を、村の共有地を通って結ぶコミュニティバスを計画しています。この収益で、平日は地域の福祉、生活利便の運行をしようとしている。
 行政の自己資金で建設するだけではない時代になった。行政の土地を、住民の主体を活かした起業に上手に運営してもらうことが重要なのかもしれない。
枚方のTサイトは、蔦屋のすばらしいデザインの文化サービスセンターである。枚方出身のオーナーの想いがこめられており、程度の深度はともかく、これも一つの住民の主体の表現かもしれない。常識を打ち破る発想が専門家、住民にできないときは、脱常識の一部の住民・賛同者が、事業展開するのも、新しい住民主体かもしれない。

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住民主体のまちづくり 蟲明眞一郎

昨日、研究会で蟲明眞一郎先生のお話を伺い、感動した。
 
蟲明先生は、街づくり(都市整備を蟲明はそうよぶ、たとえば)「道路整備の話になると、必ずと言ってよいほど地元で反対運動が起る」「このため、行政は、住民参加で道路計画がまとまるはずがないと考えます。/私は、こうした相談を受けた場合、必ず、『住民参加』ではなく『住民主体』で行うことを薦めています。ここでいう住民主体とは、会議自体を、座長も含めて全て住民で運営してもらうという意味です。…白紙だと、制約条件の一つ一つを皆で考え、各々が納得の上で段階を踏んで行くことができます。つまり、収拾がつかなくなることもなく、とんでもない案がまとまるということもありません」と言い切られました。腹案などないのです。住民が、地域のことを主体的に考え、制約条件を教えてもらいながら、現実的に考えていくから、短時間でまとまるとのこと。
 
さらに、「道路計画の場合、道路用地にかかる人とかからない人、道路から近い人と遠い人、といった利害対立が生じることの方が、収拾がつかなくなる大きな要因だという反論があろうかと思います。これに対しては、だからこそ、そういう人たちが一緒になって考える住民主体の進め方が適している」といいます。用地買収に伴う移転なども「実際、地域の人が、用地にかかる人の説得にあたられ、また、行政に対しては住民側に立って相談にのっておられるのを間近に見たことがあります」といい、そのプロセスを共有すれば「こうして、住民の理解が進んで行政との認識のズレが早く解消されると、時間は大幅に短縮される」と、その実績から断言されました。
 
住民対応の資料は、「見てわかる」要点をまとめた資料で良いので、そんなに時間はかからない。行政だけで検討する場合は「読んでわかる資料」なのでチェックに時間がかかると言い切ります。
 こ
うした住民主体の「検討の『場』づくりですが、私は、地域の誰もが参加できる『全体会』を検討主体に、これを『世話人会』が運営する仕組みをお勧めし」「コーディネーターを明確に位置付けることが最も重要」といわれました。
 
長い文章の腹案を出してくる役所、それに対抗する住民という構図をやめ、住民主体で考えさせ、第三者であるコーディネータが資料を用意したり、法規や補助制度の仕組み、議論の整理方法をアドバイスするにとどめるようです。まとまらなければ、撤退するそうです。
 
これに対して、多くの人が出入する駅前広場整備は、便利なところに住んでいる人に移動を強いるわけだから難しい。「駅前広場の用地にかかる人達には、『鉄道という貴重な公共交通機関を、駅周辺の人達だけでなく、出来るだけ多くの人達が利用できるように、ご協力ください』とお願いするしかありません。もちろん、こうした説明でも移転させられる人達の理不尽さは解消できないでしょうが、少なくとも、行政や一般市民が『無理なお願いをしている』ことを認識できるという意義はあります。どこかへ移転してもらうのではなく、便利になったその街に住んでもらうのが筋というものです。それには、新たな道路や駅前広場に面する人や空き地の所有者、そして移転する人が、ともに街づくりに対して夢を持つことが不可欠です」とコーディネータとしての哲学・矜持を述べている。
 
蟲明先生は道路などの都市施設と、都市整備などの街並みづくりは異なるという。「都市施設を対象とする街づくりでは、制約条件を一つ一つ理解していけば専門家でも住民でも同じような結論に至る」。しかし「街並みづくりには制約条件が無い」「街並みづくりの制約条件といえば、直接的には用途地域や建ぺい率、容積率や高さ制限など各種の建築規制が考えられますが、街並みを住居系とするのか商業系とするのか、住居は戸建なのか集合なのか、商業なら商店なのか商業ビルなのか、集合住宅や商業ビルの高さは低層か高層か、それによっては規制を変えなければなりません。つまり、建築規制に基づいて街並みを考えるのではなく、どんな街並みにするかによって建築規制を変えるのですから、結局、街並みづくりに制約条件はない」と言います。だから、「住民自身の常識に頼らず、積極的に専門家の助けを仰ぐことが重要となります。しかも、相当頑固な思い込みを解きほぐさねばなりませんから、専門家を先生に一から学習する時間が必要です」と述べている。
 
つまり、「道路など都市施設の街づくりは、必要なアドバイスができるコーディネータが必要」だ。しかし「建物づくりなど街並みづくりには、どんな街並みにするかによって建築規制を変えるのですから、結局、街並みづくりに制約条件は」なく「専門のデザイナーに学び(デザインコードや)自己の常識をくつがえす学習が、住民に求められる」というのです。住民主体における対土木と対建築の違いを、明確に述べられている。
 こうした対土木における制約条件提示、対建築における固定概念打破のデザイン提示、専門家は「住民主体」の必須としりました。
 しかし、そこまで住民が考えるようにもっていけるように、問いを発し、じっくり聞くことのできる専門技術者がどこまでいるか、疑問です。むしろ、多くの専門技術者と住民の間で、行政の言葉、技術者の言葉を翻訳し、問いを発し、議論を聞く、コミュニケーションデザインの専門家が必要かもしれないと、思いつつあります。

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2016年7月29日 (金)

木村斉「稼ぐまちが地方を変える」NHK新書、2015

・ビルのゴミをまとめて(時間、場所)コンペにするとコストを170万円下げれる。この削減効果の1/3はビルオーナーの利益、1/3はテナントの共益費減額、残りはまち会社の利益pp60-62
・城崎温泉 多数の旅館のエレベーターの共同メインテナンス契約 400万円削減 西村家が旗振り。この利益もオーナーに1/3、テナントを通じてサービスに1/3、まちづくり再投資pp124-125
・米国 不動産オーナーがまちの価値をたかめるために連携→BID(Business Improvement District)負担金p73‐
 しかし、日本では身銭を切って自分のまちに投資するビルオーナーはいない。不満があれば役所や政治家に頼み込む。「損はしたくないが、得はしたい」。不動産価値は右上がりのなかで、景気で加速し、まちの価値は行政が作ると、思い込んでいる。p76
⇒現実は不動産価値があがらない。地方では下がる。これからは都市間競争だから、まちに投資すべき だが、なかなか気づかない。だから、まち会社(官営のまちづくり会社じゃない)が大切。
・目的の明確化が大切・・・「コミュニケーション」「活性化」なんて、何もいっていないのと同じ・・・全員合意ではなく、投資する中間を2-3人 が大切pp105-107、111-114
・目的が決まったら先回り営業し、営業目安にあわせた建設投資をすれば良いp123

■森栗の疑問・・・経営論としては正しい。だったら、下手なまちづくなど不要で、蔦屋が枚方Tサイトをつくれば、それで充分。銀行も蔦屋のコンセプトに連携し郊外で17時以降も土日も開ける空中店舗、公開会議スペース・・・。市民合意や市民主体など不要、コンシューマーがデータとして管理される。Tサイトが最も効率のよいまちづくりだが、それで良いのか?

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PFIの意味 住民主体と民間投資(地元企業) 蟲明眞一郎

ひきつづき蟲明眞一郎先生の講座から。

 

「平成23年度の『地方財政白書』によると、普通建設事業費のうち都市計画費すなわち街づくり事業費は、平成11年から平成21年までの10年間で4割以上減少」している。「都市計画事業では土地費用はちょうど1/3」になるので、1999年にPFI法が制定から、「特定目的会社(SPC)というものを設立し、それが資産を買い取り、その証券を小口化して、一般から資金を集めるという手法」がひろがった。この肝は、「民間企業に自由に考えてもらえれば、組合せとアイデアによっては事業費に倍以上の開きが出ることもあり得る。そういう提案募集をすること」なのだが、持ち出し予算がいらないからという仕様書を決め込んだ奇妙なPFIもある。「資金だけなら、PFIより市債の方が利息がずっと安い」と、蟲明先生は憤る。

 

 さて、こうなると「住民主体と民間主導をどのように調整するかが課題になると言いました。今回、エリアマネジメントの制度を考えてみて、これからの街づくりでは、住民が、それらを専門家や民間にどれだけ委ねられるかが成否の分かれ目になる」と述べておられます。

 

 そのひとつの答えが、神戸フルーツフラワーパーク大沢である。神戸市が定期借地を設定し、地元の3社が連携企業を作り、プロポーザルで受託し、自分たちの資金で道の駅を作っています。付近はクルマの渋滞が多いので、隣接するアウトレットと道の駅を、村の共有地を通って結ぶコミュニティバスを計画しています。この収益で、平日は地域の福祉、生活利便の運行をしようとしている。

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2016年7月26日 (火)

子ども食堂

「こども食堂とは、こどもが一人でも安心して来られる無料または低額の食堂」。
それだけ。
「こども」に貧困家庭という限定はついていない。
「こどもだけ」とも言っていない。
大事なことは、子どもが一人ぼっちで食事しなければならない孤食を防ぎ、さまざまな人たちの多様な価値観に触れながら「だんらん」を提供することだ。
だから、一人暮らし高齢者の食事会に子どもが来られるようになれば、それも「こども食堂」だ。

「こども食堂を開く時『困っている人やお金がない人は来てください』と言ったら、絶対に来ないでしょう。また、そんな情報も届かないかもしれません。特にひとり親の方々は支援や制度、人や地域とつながる時間の余裕が全くありません。
問題はお金だけでなく「時間」と「つながり」の困窮による孤立です。子ども食堂の意味は“単に子どもがご飯を食べる場所”ではありません。子どもも大人も社会的孤立の状態にあって得られない情報や、支援、制度利用、つながりを得られる場が必要です。日中は行政と学校というセーフティネットがあります。もうひとつ、地域が「生きること」を支える役割を果たせるようになってほしい」

”場”としてのこども食堂
「むしろ、より積極的に、多世代交流型になることが望ましい」と近藤さんは言う。
孤食をわびしく感じるのは、子どもだけではない。
若者もお年寄りも、仕事で疲れて食事をつくる元気の出ない母親や父親も「今日はちょっと食べに行こうかな」と寄れればいい。
そして、子どもは食事後に遊んでもらったり、ちょっと勉強を見てもらったり、 母親や父親は人生の先輩たちから子育てのアドバイスを受けたり、地域の子育て情報を交換したり、お年寄りは、子どもと遊んであげることを通じて子どもに遊んでもらえばいい。 そこに障害のある子どもや大人がいてもいいし、外国籍の子どもや大人がいてもいい。より多くの人たちが「自分の居場所」と感じられるようになることが理想だ、と。

 支援ではなく、命をともに守る、つながりの場づくりなんだと知った。
湯浅誠「子ども食堂で考える、貧困 対策に必要なこと」 東洋経済ONLINE 2016/7/23・24

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2016年5月23日 (月)

ホール エドワード『 隠れた次元』

ヤン・ゲール『人間の街』2015/12/5コミュニケーションの距離を示した。
原典を整理して示す。
日高敏隆、佐藤信行訳、みすず書房、1972年(Edward.T.Hall"The  Hidden Dimension"1966)pp145-181 合衆国北東部の専門職 に限定した分析20160523_2

「20160523コミュニケーション距離.xlsx」




 

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2016年5月18日 (水)

「分かち合い」の経済学 / 「分かち合い」と「やさしさ」の倫理学、コモンズ

「分かち合い」の経済学 / 神野直彦著: 岩波書店 , 2010.
新自由主義による奪いあい
ではなく、連帯によるわかちあいによる幸福ビジョンを描くpⅰ-ⅴ
・G.ハーディン『コモンズの悲劇』(1968年)は、私的所有権が設定されないと共有地の資源が枯渇するので私的所有権による市場原理を正当化するものである。しかし、コモンズには両義性がある。人間の生命を支える自然を基盤とした共同社会:わかちあいがあれば、コモンズの悲劇は起きなかったという解釈もある。「コモンズの悲劇」とはわかちあいのコモンズが存在しないから起きた悲劇だという解釈も
ある。p18‐19
・新自由主義はわかちあいの経済や財政を小さくしようとするがゆえに、その社会崩壊混乱を無償労働(ボランタリーセクター)に求め、コミュニティの復権を説く。伝統的美徳の復活を唱導する。p22-23
・工業化社会は、存在欲求を犠牲にして所有欲求を求めた。脱工業化社会は存在欲求を追及できる社会である。
・今、必要なのは、競争原理ではなく、協力原理が必要だ。協力原理は、存在の必要性、共同責任、平等 の3要素からなる。

「分かち合い」と「やさしさ」の倫理学 藤田隆正、勁草書房、1993年
人間は食物をめぐる間分配で、政治的経済的関係性を築いたが、人間は、チンパンジーとは異なり、互恵的利他主義 を社会的に制度化した。

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2016年5月17日 (火)

我がこと

■我がこと、自分ごと
・行政のモノ・カネ・セイド重視から、生活者によるヒト・クラシ・イノチ重視の価値観へ(p116、延藤安弘『「まち育て」を育む』東京大学出版会、2001年)
・日本新聞協会広告委員会「記憶のカギは‘自分ごと化’ドライバー」、2013年
・博報堂DYグループエンゲージメント研究会『「自分ごと」だと人は動く』ダイヤモンド社、2009年
・田中優子編著『そろそろ「社会運動」の話をしよう-他人ゴトから自分ゴトへ。社会を変えるための実践論』明石書店、2014年 学生の当事者性の育成から考える
・田村圭子編著『ワークショップでつくる防災戦略ー「参画」と「我がこと意識」で「合意形成」』日経BPコンサルティング、2015年
・久繁哲之介『商店街再生の罠:売りたいモノから、顧客がしたいコトへ』筑摩書房、2013年
雇用、農業、趣味から
・ことづくりがプロジェクトの成否の鍵となる。ことづくりのエッセンスは、人、モノ、カネ、そして知恵である。p11
 工業社会は、命令、コントロール、チェック だが、情報社会は、コミュニケーション、コラボレーションによるプロセス共有、コンプリヘンション(会得)に至る pp48-49(金安岩男『プロジェクト発想法―物・事・人のつくり方』中央公論新社、2002年)
  ⇒対話によることづくりの必要性

知り伝え話し合う(=対話)⇒自分事化:物語として紡ぐ(協働して)いくプロセス
田中尚人「小学校地域学習におけるシビックプライド涵養に関する実践的研究」『実践政策学』第2号、2016年

■我がことの「コト」とは何か?
・漢語の「物」は旧くから人間をも含めた「天地間に存在する一切のモノ」を表しp18
「事」は史かきゃくによって記述される与件ということに徴すれば・・・事象・事件・事態に庶いp19 モノは名詞類で表される与件 コトは論脈での文章で表される事態p31、事態は総じて間主観的=共同主観的な被媒介的存立態であるp255

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2016年5月 6日 (金)

歩き遍路を授業として仲間と歩く意味(西川勝)

流しの哲学者、西川勝先生に同道いただき、徳島のお遍路を、学生と一緒に歩いた。個々バラバラに、先にたち、遅れつつ歩く。初めて会うまったくの他人との会話や相互接待。個々のカラダをみつめ、風景を見つめ、歩くスピードも服装も異なり、経をあげるあげないも異なるのに、そこ連帯感は何か。
 宿舎でのミーティングで、流しの哲学者が教示してくれた。

愛には、エロース(eros)、フィリア(philia)、アガペー(agape)がある。異なることに執着するエロースではない。制服で隊列を組んで歩き、歩く距離の同質性を求めるアガペーでもない。異なることを異なるまま認めるが、遍路道に位置する仲間を気遣う友愛、これが遍路なんや!

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2016年4月26日 (火)

方丈記・鴨長明・天命・天誅・無常・山折哲夫

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
 『方丈記』の中で鴨長明は、安元3年(1177年)の都の火災、治承4年(1180年)に同じく都で発生した竜巻およびその直後の福原京遷都、養和年間(1181年~1182年)の飢饉、さらに元暦2年(1185年)に都を襲った大地震など、自らが経験した天変地異に関する記述
    =天命論⇒あきらめ
      天誅論
      精神論
       (廣井脩「災害と日本人 巨大地震の社会心理,時事通信社,1995 年」)

「受け入れがたい事実を抱えると、人は立ちすくんでしまい、耐えるのもつらくなる。宗教はこれに対処する糸口を持ちうる。今回の大地震で、改めて多くの人が宗教の必要性を感じているのではないか」
「(引用者注:末法と言われる世において親鸞の浄土真宗は)戒律を破らずには暮らしていけない人々でさえ極楽往生できる(救済される)と説いて民衆をひき付けた」
「日本列島に生きる人々は、こうした自然の猛威や大量死と背中合わせに暮らしてきた。永遠なものはなく、形あるものは滅びるという死生観や無常観も培われた。(中略)ところが戦後日本は無常という概念にふたをするように、死と正面から向き合うことを避けてきた」      (山折哲夫2011/3/23日本経済新聞文化面)

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2016年4月 7日 (木)

RFP 【 Request For Proposal 】 提案依頼書

RFPとは、情報システムの導入や業務委託を行うにあたり、発注先候補の業者に具体的な提案を依頼する文書。必要なシステムの概要や構成要件、調達条件が記述されている。 RFPには、必要とするハードウェアやソフトウェア、サービスなどのシステムの概要や、依頼事項、保証用件、契約事項などが記述されており、業者はこれをもとに提案書を作成する。発注元は業者の提案書を評価し、契約する業者を選定、ハードウェアシステムの構成要素のうち、回路や装置、機器、設備、施設など、物理的な実体を伴うもの。「HW」「H/W」などの略号で示されることもある。

 コンピュータの場合、処理装..やソフトウェア、サービスなどを調達する。 これまで情報システム業界では、口約束やあいまいな発注による開発現場の混乱や紛争の発生、納期の遅れやシステム障害などに悩まされてきた。事前にRFPを通じて調達条件や契約内容を明らかにしておくことで、こうした混乱を未然に防ぐことの重要性が注目されつつある。

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2016年4月 5日 (火)

四国落人山地の豊かさと予土急行国道33号線

土居商店の先先代の頃は、国道古床から山中に入った黒藤川の楮、三又を集め、高知に出荷していた。土居の出荷で、和紙の価格が左右された時もあった。黒藤川は、平家落人・源三位頼政の子孫といわれる。

1894年(明治27年) 四国新道の全線(最後の松山ー高知間)開通


1934年に四国で最初の省営自動車線として予土線(鉄道を補完するものとして)が開業、後に鉄道との通し貨物取り扱いもする。
 この頃、高知松山国道が整備されたので、黒藤川の土居商店は国道の古床バス停に下りてきた。
1950年7月15日 - 松山・佐川間急行便が設定された。
1965年7月15日 - 12人乗りマイクロバスで始めた特急便の車両を大型化した。
 この頃の土居は、建築材料など、なんでもしていた。

1999年 古い家を壊し、ええもん屋を始めた。地域が衰退する中、地元の良いものを残したい思いで、建て替えた。

 当時は電源開発の工事、道路の工事があり、仕入れの弁当でも、飛ぶように売れた。

 当初、食堂は考えていなかったが、大阪で板前をしていた黒藤川 の人が地元に戻り道路工夫をしており、料理を教えてくれた。お客を自分の味に慣らせるなど、営業の仕方も教えてくれた。ふわっとした巻き寿司の作り方も、息子に教えてくれた。
2002年9月1日 - 「なんごく号」全廃とともに落出~高知間の急行バス路線を廃止。落出~佐川間は同年7月1日から黒岩観光バスとなる。
 松山からバイパスができたので久万高原までは人が来る。しかし、JRバス久万線が来るのみの土居は、四電の工事宿舎を払い下げを受けて、農家民宿をやっているが、なかなか人がい来ない。
 娘が久万のお茂ご酒造に嫁に行ったが、酒造業をやめた。そこで。蔵でこんにゃくづくり、甘酒づくり、ピクルスづくりをし、農家民宿の広報もお茂蔵で展開しようと考えている。平家の落人の豊かさの代表として、平家こんにゃくを売り出したい。
 何よりも立派な蔵を活かして、山の豊かさ、平家の誇りを伝えたい。

 女性が醤油蔵をビフォーアフターで改造し、醤油カフェをやっている、京都府京丹後市の大丸醤油に、家族で見学にいって、これからの山の豊かさ、蔵の表現を考えようと思っている。

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2016年4月 4日 (月)

偶然と必然

20歳の冬だったろうか、旧池田師範の体育館(武道場?)を仕切った汚い教室の一番前に座った私は、井代彬雄先生の西洋史の授業を受けていた。社会主義思想、ナチズムの研究をしていた井代先生は、「ほんと、不思議だよね。ルカーチっていう社会主義者は言うんだよ。偶然とは、必然の見えないものだって。歴史って、そういうもんだね」
 この言葉は長く心に残っていたが、『実践政策学』に「モノとコトの間のハナシと物語ーカフェ・ワークショップによる協働参画のために」を書くため、偶発的なコミュニケーションの意味を再考し、思い出して調べてみた。
 偶然と必然の問題はメルロポンティなど現象学でも論じられているが、生物学者であるジャック・モノー『偶然と必然』では、生物の進化系統をめぐって「偶然とは 人間の私意識が了解できない必然である」と定義した。
 ベルグソンが、必然の認識は、生気と活物において認めら、生気と活物こそが実践であるとしたのも興味深い。
 私が、生気と活物ある学術をめざして、有志と『実践政策学』を創刊したのは、無意識ではあったが、ベルグソンの言っている生気と活物を求めてであり、その根底には井代先生の「偶然と必然」の教えがあったことを、今更ながら感謝。
 今日は、入学式。そんな教育をしたい。

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2016年2月15日 (月)

モノとコトの間のハナシとデザイン~書くワークと音声言語処理との連携~ をUPしました

2月末、野沢温泉で、人工知能学会音声言語処理部会で話題提供することになった。
題して、モノとコトの間のハナシとデザイン~書くワークと音声言語処理との連携~」をUP
1 地域政策評価の現状と課題
1-1 費用対効果 1-2 対話と納得
2 対話型まちづくり現場から
2-1 コミュニケーションレスの現場 2-2 多様な対話法 2-3 多様な対話の技法
3 人工知能技術の記号接地問題
3-1 記号接地問題 3-2 個人・社会・科学
4 対話における物語とデザイン
4-1 ハナシのスジ 4-2 ハナシとデザイン
5 「わかちあう」「まとめる」を支援する
5-1 音声言語処理による支援ツール 5-2 書くことの支援ツール

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